ポゴレリチのアリエッタ

 ピアニスト、ポゴレリチは、大学時代にブラームスのピアノ間奏曲集をたまたま購入して、彼の背景をよく知らずに、その世界に耽溺して以来のファンなのだが、先日、新宿タワーレコードに立ち寄った際、彼の若かりし日のベートーベンピアノソナタ32番のCDが、レジ前の棚にピックアップされて陳列されていた。著名なバレエダンサーが、この2楽章に振付をつけて、踊ったという由縁かららしい。このベートーベン最後のピアノソナタ32番の2楽章は、ベートーベンの音楽のひとつの到達点ではないかと個人的に思っている。同じく晩年にかかれて書かれた弦楽四重奏曲の中に、この世界を探そうと思って全部聞いてみるまでのことをしたが、それぞれの響きや曲調のよさはもちろんあるにせよ、この32番2楽章のもたらす、単純さと崇高さ、そしてやさしさと慈しみには、なかなか出会えなかった。やはり、これは独特の世界なのだ。本日、自分のCDを聞き直してみたのだが、とくに、この楽章の若きポゴレリチの演奏リズムは、神経と脳に自然に、本当に自然にしみいるような、なんらかの癒しを与えてくれる、そういうものがある。もちろん、彼は、そういう癒しを目的になどしていないが、「結果として」そういう穏やかな力が伝わってくる。これは、ブラームスの間奏曲集のCDでもそうであった。そして、あらためて聴いてみて、この曲は、ボレロとはまた違った形で、味わいのあるダンスにもなりうるかもしれない、そういう繰り返しの波状のリズム感が、ポゴレリチの演奏、多分、ぺダリングとか強弱の仕方で、埋め込まれていると感じた。


 私と同じように、この楽章を持ち上げている人は、やはりいるわけで、検索してみると、こういうブログ記事があった。
「ポゴレリッチの弾くベートーヴェンの作品111を観て思ふ」
http://classic.opus-3.net/blog/?p=14804
/同感である。彼の演奏の妙味をうまく表現してくれている。ただ、現在のポゴレリチについてはまだ拝見視聴していないので判断は保留したい。


昨年、彼は来日して、彼はベートーベンのソナタを連番で熱情前後の3曲を演奏していた。http://www.kajimotomusic.com/jp/news/k=1632
ポゴレリッチ、ベートーヴェンを語る 〜ピアノ・ソナタをめぐる対談
/この中の彼のベートーベンに向き合う姿勢に瞠目したので、引用しておく。


ポゴレリチ「さきほどあなたも触れていましたが、私は20代前半にソナタ第32番を演奏し、ドイツ・グラモフォンにその録音も残しています。しかし、だからといって自動的にベートーヴェンの他のソナタを簡単に演奏できるわけではありません。」


「全32曲のベートーヴェンソナタはどれも、兄弟や姉妹のように似ているわけではないからです。それは喩えるなら、独自の言語を話し、独自の歌を唱う、全く異なる32人の人物に出会うことです。だからこそ私たちは、謙虚さに立ち返るわけですね。」


「巨大な建物を目の前にし、どうにかしてそこに入りたいと願っている・・けれども、どうすればよいかすぐには分かりません。」


「しかし、その意図が誠実であれば、拍手喝采よりも真髄を求めるのであれば、そして時に過程において巨大なカテドラルの中で耐える覚悟があるならば、その先には宝石箱が存在し、それを目にすることができるのです。」


幸い、その演奏そのものが、Youtubeにアップされていたので、引用しておく。
BEETHOVEN Piano Sonata #32 in C minor, op. 111, Arietta.
IVO POGORELICH
http://www.youtube.com/watch?v=f0imWper96Y
個人的には、ピアノ録音芸術の中でも屈指に入っている。じっくりとオーディオで聴く価値ある演奏だし、自然と、繰り返し、繰り返し聴きたくなる。そういう演奏だ。この長大な変奏曲がアリエッタという可愛い名称だったのは再発見であった。最初の3つの音、この単純な音形からすべてが始まる。下降音形であり、運命のテーマにも似るが、より、緊張感はなく慰撫的なテーマで、ベートーベンの個人的な世界の中の発展というか、ある終点を示しているような気もする。これは、むしろ、マーラーの9番1楽章の主題につながる世界である。


シルヴィ・ギエム「BYE」アジュー』 - TOWER RECORDS ONLINE http://tower.jp/article/series/2013/10/25/sylvie_guillem
これが、若き日のポゴレリチ演奏が、バレエ振付曲として再生されたもの。東日本大震災後に、早々にチャリティー来日した大物ダンサー、それが彼女だった。


DVD「シルヴィ・ギエム「BYE」アジュー」予告編
http://www.youtube.com/watch?v=UhV5TJq7juI
家族、家庭、家から解放された、現代の女性が、いったいどこに向かうのか、そういう問いかけのようでもある。いったい、どこに向かうのか?そういう問いを内包する険しい孤の舞いとして、自分の若き日の運命を担いとおすポゴレリチの音楽性が選択されたというのであれば、それは、それで十全な選択でもある。先ほどラジオに流れていた、ボニーピンクの「衣替え」も、同じような問いへの歌であったような気がした。