ワーグナー『タンホイザー』より 巡礼の合唱 

 ワーグナーの楽劇の世界は、憧れてはいたものの、長大すぎて、数年前まではなかなか近づけなかった。また、排他的なドイツ民族主義や、その後のナチスドイツとの関連も連想させるものもあり、真剣に向き合って聴き込むことを、やや敬遠していたという部分もなきにしもあらずであった。しかし、よく演奏される序曲や、トリスタンとイゾルデの最終部などの音楽的魅力には耐え難いものがあり、この数年は、近くの図書館にあるCDを借りてきては、自分の古いラジカセでMDにコピーして、仕事中のBGMとして聴いている。それから、毎年、クリスマスを過ぎると、NHKFMで、午後9時からバイロイト音楽祭の録音放送を、連日やっているので、それをエアーチェックしたものもある。
 これまで、部分的にしか聞いていなかったワーグナーの音楽も、通して聴いてみることで、また別の印象が生じてくる。まず、彼の愛好していた、ベートーベンの第九交響曲の面影が、独唱者と合唱が入り乱れる場面の中に感じられる。調べてみると、ワーグナーは、作曲家としてよりも、先に指揮者として、特にベートーベン交響曲の名指揮者として名をなしていたが、当時、ベートーベンの第九は「演奏不可能」とされていた。それを、彼は1846年の演奏会で、見事に演奏して、大成功を収めたという。こういう逸話が、大きくうなずける様な、第九の4楽章風の盛り上がりを見せる部分が、彼の楽劇の中には結構ある。
 もう一つは、バッハやヘンデルの、ミサ曲、受難曲、あるいはオラトリオを思わせるような曲調に入り込むことがある。彼の表現の「詩」の部分は、神や信仰が相対化されていった時代において、人間の欲望、業とその結果の苦悩、悲劇を、どのように救済してゆくのかという、厳しい、基本的なモチーフがある。恋愛のもつれを扱うものの、モーツァルトやイタリアオペラとは、フォーカスする部分や姿勢が異なり、より深刻なところまで行ってしまう。結局「愛の中での死」や、「諦めたものの徳の深さ」を賛美する所に、解決音を持って行くようなところがあるが、歴史的には、この領域をになっていたものが、神や仏の宗教の領域である。そういうことも考え合わせると、彼の楽劇は、神や仏のなき時代のための、ミサ曲であり、受難曲であり、オラトリオであるとも解釈できるところがあると思われる。ただし、彼の中には、ショーペンハウアーという新しい血が、ふんだんに入っている。私は、西洋人ではじめて、仏教を心底理解し、それを西洋哲学の言葉で真摯に書き留めてくれた哲学者は、ショーペンハウアーをおいて他にないと思っているが、ワーグナーなりの解釈で、それを詩や音楽の中に取り入れて、その時代の受難曲と、その解決音を探ってくれたのだと思う。ちなみに、「神は死んだ」で有名なニーチェは、ワーグナーと著作や台本を送りあう仲だったが、1878年、「パルジファル」と「人間的な、あまりに人間的な」を交換した段階で、「ワーグナーは十字架の下に屈した」と訴え、決別したとのことである。だが、片意地を張って自我膨張の幻惑に踏み込んでいった、その後のニーチェの精神、生活は、どのようなものであっただろうか?
 前書きが長くなったが、「タンホイザー」は、ワーグナーが第九を成功させた前年、1845年に完成させ、初演されている。もしかしたら、ワーグナーなりの単純だが力強い「歓喜の歌」を書いてみたのかもしれない。序曲と、その後の神秘的な合唱の部分、それから、第2幕以降は、音楽的に密度が濃く、時間をかけて聴きとおすに値すると思う。ただ、第1幕部分は、やや単調さが否めない。序曲の出だしで有名な、荘厳な主題は、第3幕で「巡礼者の合唱」として、その詩的本性が明らかになる。ヒロインが、巡礼者の中に、思いを寄せつづけるタンホイザーがいないかと探すのだが、見つからない、その中で、巡礼者が荘厳な合唱を響かせる。これも、YouTubeに楽劇のシーンが上がっている。こういうのを見比べると、演出の仕方で、観客へのメッセージが微妙に異なってくるのがわかる。


これは、たぶん、バイロイトでの上演からのもの。巡礼者よりも、ヒロインの感情や苦悩に焦点をあてており、衣装からみても、より古典的な解釈と思われる。
Tannhauser pilgrim's chorus Bayreuther Festspiele
http://www.youtube.com/watch?v=EdR7li8K7E4


こちらは、より現代的な感じのもの。ヒロインの苦悩も表現されているが、音楽の頂点では、巡礼者が正面を向き、その合唱の響きが、場を席巻する。それは、観客にも向けられたメッセージにもなる。
Tannhauser pilgrim's chorus Napoles
http://www.youtube.com/watch?v=wt3-yMo4Dvo



抜粋ものだが、巡礼者の歌っている歌詞の内容が、日本語字幕で出るものもある。ニコニコ動画由来のもので、ウインドウズXPだと歌詞がでないが、ウインドウズ7だと出るようだ。曲調に歌詞を合わせると、また別の感銘を受ける。
「巡礼の合唱」指揮:ショルティ(サー・ゲオルグ)■演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団■合唱:ウィーン楽友協会合唱団
http://www.nicozon.net/watch/sm1156377



ニコ動から翻訳歌詞を書き出してみる。詩として、リフレーンもつけてみた。文語調でリズム感もあり、結構すばらしい訳だと思う。


故郷よ、喜びもて我は汝をみる
美しい草原に、嬉しく挨拶を送る
神に仕えて巡礼を終えし今、
旅の杖に休息を与えん


懺悔と悔恨により、我が心捧げし主の許しを得たり
主は、我が悔悟に恩寵を与えたり
我が歌は、主のために響く
我が歌は、主のために響く


恩寵の救済は、懺悔者に与えられたり
彼はいつの日か、天国の平和に行く
地獄と死とは、彼の怖れにあらず
故に、我が命の限りに神を讃えん


故郷よ、喜びもて我は汝をみる
美しい草原に、嬉しく挨拶を送る
神に仕えて巡礼を終えし今、
旅の杖に休息を与えん



その他、「聖母の御子」と同じく、いろいろな楽器での演奏があり、それぞれ個性的でいい。
リスト編曲のピアノ版が有名だが、いくつかYouTubeに上がっている中でも、これが最も、しみいる情感がある。
ピアノ Joel Hastings リスト編曲
1. http://www.youtube.com/watch?v=nqDc5Ur71Zg 
2. http://www.youtube.com/watch?v=ZjnlwRG_E5U


トリスタンとイゾルデの記事で取り上げた岡城千歳が、モシュロフスキ編曲版のタンホイザー序曲を、PropianoというレーベルのCDに入れているのがある。ただし、これには、巡礼の合唱のテーマは使われず、序曲のあとの、ヴィーナスの合唱が効果的にピアノで歌われている。リストとは違った原曲の解釈や、ピアノ編曲の味があって、これもまたいいが、ここまでマイナーになると、Youtubeにはもちろん上がっていない。


滅多にギターでは演奏されないが、ティモ・コルホネンが録音したものが、上がっている。
タレガ編曲が、すばらしくうまくできていると思う。ギター音楽にとってのギフトだと思うのだが、
あまり知られておらず、もったいない限りだ。
ギター Timo Korhonen  タレガ編曲  
http://www.youtube.com/watch?v=C7WpPSpfdDA



パイプオルガンの壮大な演奏もあったが、むしろ、このおじさんのアコーディオン演奏を取り上げたい。
心底、音楽が好きであり、感情移入しているのがわかるし、いい演奏でもある。
アコーディオン Carmen Carroza
http://www.youtube.com/watch?v=9Roe8KxCekk