平野昭教授のシリーズ『音楽探訪』

 浜松楽器博物館では、毎年6月に、シリーズ「音楽探訪」と題して、元静岡文化芸術大学教授で、現在は慶応大学に行ってしまった、平野昭教授による、クラシック音楽の講義をきくことができる。浜松は、楽器の町から、音楽の街に脱皮しようと、官公庁主催で、国際ピアノコンクールを筆頭に、音楽関係のイベントをやるようになってきて久しいが、この「音楽探訪」もその一環のようにみえる。「うそも百回つけば本当になる」ごとく、こういうイベントを長期にわたり、地道に続けていくと、それを楽しみにする根強い市民層も育ってくるのだろう。私も、この数年間、時間をとって、安い金額を払って楽しませてもらっている。
 平野教授は、音楽美学を専門とする方で、音楽評論家でもあるが、非常に温かい感じで、わかりやすく庶民にも話をしてくれる。慶応に出世して行ってしまって残念だが、浜松で教授をしているときには、6回ぐらいのシリーズで、ほぼ一人の作曲家、場合によっては、一人の作曲家のあるジャンルの曲の講義をしてくれた。ここまで、専門的なクラシック音楽の講義を身近できけるのは、浜松ならではであったのかもしれない。3年ぐらい前か、ベートーベンの弦楽四重奏特集をやってくれて、私にとっては、なかなかとっかかりにくかった領域だったので、非常に参考になった。特に、弦楽四重奏曲第15番、第3楽章の、「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」の解説と、譜面を映写しながらの音楽視聴は、私に、この領域へのとっかかりを作ってくれた。ベートーベンが、後期のピアノソナタ交響曲の中でもみせなかった、弦楽四重奏曲ならではの、牧歌的な賛歌の響きがあることを知った。これだけ聴いても、癒される感じのする曲である。
 ベートーベンをライフワークとする平野教授が見つけ出してくれた至言を見つけたので引用しておく。確かに、こう感じることもあるし、そういう大地を、より広く深く開拓したのが、ベートーベン本人でもあった。
「音楽は不思議な力に満ちた大地だ。人間の精神はそこに生き、そこで思考し、そして創造する」


弦楽四重奏15番3楽章で、譜面を提示する形でYoutubeに挙がっていたもの。冒頭部のコラールが非常に単純素朴な音形の進行からなることがわかる。リディア旋法は教会旋法の一つだが、起源は古代ギリシャにさかのぼる。確かに、リディアという国があったようだ。
Beethoven, String Quartet No.15, Op.132 [3/4]
performed by the Orion String Quartet.
http://www.youtube.com/watch?v=TI4xhQVwzSg
http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&v=Z7chjLuulvg&NR=1 (さらに4分30秒ぐらい続く 後期ベートーベンならではの世界であり、こういう所が、マーラーにもつながっているのだろう)



 本年の音楽探訪は、ワーグナーヴェルディの生誕200年記念ということで、3回のシリーズでやっている。昨日の回は、ワーグナーの歌劇と楽劇についての講義と、居福健太郎氏によるピアノ演奏があった。私は、ワーグナーのベートーベン第九好きに注目していたが、なんと彼は17歳の時に、ピアノ一台での第九全曲編曲を行っており、自信満々で、出版社に押し売りに行っていたが、さすがに拒否されていたという逸話があった。これは、是非、CDで探してみたいところである。歌劇と楽劇の違いについて、今回の話で、一般的には、「トリスタンとイゾルデ」以降の作品を楽劇と呼び、その前は歌劇の段階としてるということを知った。ワーグナーは、作曲家、戯曲家であっただけでなく、数百本の演劇研究論文を書いた演劇研究家でもあった。これまでのレチタティーヴォとアリアからなる「番号オペラ」(これがよくまだわからない)を、より自然な現実的な場面展開を基礎にした楽劇へ、彼の演劇理論にそって展開、発展させていったとのことである。序曲と前奏曲の違いとか、まあいろいろあったが、ワーグナーは、オペラの形式を演劇的にも、さらには、音楽的にも、さらには、演奏の場所的にも(バイロイト劇場の、蓋をかぶせるようなオーケストラピットの創造 音楽の演奏している様子を視覚的にみせるのは、音楽や演劇そのものから注意を奪うとみた)、新しい試みを繰り返していった。
 ピアノ演奏として、まずは、居福氏に、当日、平野教授が近所のヤマハの楽譜売場で買ってきたという、タンホイザー序曲・リスト編曲譜を、ほぼ初見で弾いてもらっていた。こういう小規模講演ならではの、即興感のある演奏だったが、さすがに、最初の部分のみ。でも、自称ワグネリアンだけあって、彼の巡礼の合唱のテーマ演奏によって、しみじみとした場がパッと作られた。2曲目は、ローエングリンの3幕への前奏曲と結婚行進曲、これで生演奏は、終わりかと思ったら、最後に、トリスタンとイゾルデの愛の死、リスト編曲版をやってくれた。これはありがたかった。生演奏で、この曲を聴くのは、なかなか機会がないのだが、今回は2回目だった。どうしてもホロヴィッツと比べてしまうので、奇跡的な霊感を感じるほどの演奏とまではいかなかったが、骨のあるかつ、繊細さを大事にした、ダイナミックな演奏が聴けた。トリスタンとイゾルデ前奏曲冒頭部のトリスタン和音の解説、演奏もやってくれたが、この演奏はすばらしかった。タンホイザー序曲の出だしもそうだったが、こういう短いパッセージに、情感と深みをこめて、適度なメロウ感で弾く力が、居福氏にはあるようだ。平野教授と共に、是非、彼にタンホイザー序曲リスト編曲版を、レパートリーに入れてもらいたいとこの場を借りて提唱する。ピアノ版ワーグナーファンにとっては、1000円では安すぎる音楽探訪であった。



楽劇「トリスタンとイゾルデ」序曲
 
 ピアノ編曲版で、譜面を見せる動画。演奏は誰だかよくわからんが、編曲はZoltan Kocsisというピアニストらしい。しかし、繰り返し聴くに堪えるものだと思う。最初の3小節弱が、西洋音楽史上のターニングポイントの一つである、トリスタン和声。ひとつの和音ではなく、進行と、あえて解決しない調性が問題だから、和声というべきだと思う。
Wagner - Kocsis Tristan und Isolde (einleitung) für Klavier
http://www.youtube.com/watch?v=ugY9CQeeNaA


 奇跡的だが、Youtubeにはギター編曲版がある。このおじさんは、よく編曲してくれた。セゴビアがバッハのシャコンヌを編曲してしまった快挙と並んで、ギター史に残るぐらいのことをしてくれたのではないか。平野先生もトリスタン和音をギターコードで説明していたが、ワーグナー和音、和声進行の面白さは、ギターでも味わえると思う。
Richard Wagner: Tristan & Isolde Prelude
Transcribed and played by Dale Harris
1. http://www.youtube.com/watch?v=ntPOo2nAp3s
2. http://www.youtube.com/watch?v=KySh4fh4pLs