天野教授の浜松らしさ

  天野教授が、ノーベル物理学賞を受賞した。ノーベル物理学賞といえば、浜松ホトニクスが、カミオカンデや、昨年のヒッグス粒子発見にも貢献していて、浜松はノーベル物理学「脇役」賞では常連組なのだが、主役がついに出たわけである。本物が出た。愛憎半ばする根付けぬ地元での快挙だが、正直、これはうれしい。なにが、浜松ホトニクスや、天野教授を生んだのか、その高貴な土壌は浜松のどこにあるのか、正直よくわからんのだが、とにかく、「自分は普通の日本人です」とおっしゃるように、天野先輩のような邪気のない真面目な粘りのある技術系職人のような人は、その辺にいるにはいる。


 浜松的というものがあるとすれば、誰もできないといわれていて、代表的な研究者、あるいは、大企業が、投げ出したような、そういう日陰なニッチにあえて価値を見出し、脅威的な構想力と粘りと、実行力を発揮する、そして、全く偉ぶらず、淡々とやる、そいういう所が、浜松的といえば、浜松的なのだろう。いわゆる「やらまいか」精神といわれるものだが、「研究」という領域を考えれば、この精神の非常にソフィスティケイトされたものが、必須となる。さらに、浜松的なのは、それが技術的で、なんらかの、非常にわかりやすい用途に役立つようなものであるということである。高柳健次郎のブラウン管受像技術もそうであったし、浜松ホトニクスノーベル賞の研究に脇役ででているのは、それが、「検出」という技術系で、突出して優れているからであろうと思う。これは、研究のわかりやすさでもあるし、反面、ある種の単純さでもあるのだが、これを究極まで突き詰めてゆき、ある分厚い壁を突破すると、このわかりやすい目的に駆動された技術研究というものが、新しいパラダイムを開く革命的なものにまで至るわけである。


  本日のNHKニュース9をノーベル賞報道の目的でみたのだが、そこでやっていたのが、LEDと太陽光発電を組み合わせれば、これまで、電力の恩恵を受けられなかった途上国中の途上国でも、光を利用できるようになるとのことだ。確かに、この組み合わせは画期的で、電線から光を独立化させることにもなる。あらたな「火」の発見のようなものだ。
 この隅々まで光がいきわたるというLEDの技術的な革新に、大無量寿経四八願と解く。その心は、第一二願「たとえ我れ仏を得んに、光明能く限量ありて、下百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば正覚を取らじ」となる。このLEDにより技術的に転換された光は、ただし、源は太陽である。原子力といった、物質的にも、人の心にも、穢れを生み出す似非太陽神ではなく、本物の太陽神だ。これを実現させたのが、太陽神を国旗に掲げる、日本の国の学者であるというのがいい。こういう形で、日本国旗のシンボルと日本の誇りを、作り直せないだろうかと思う。




【参考記事】
1.ノーベル賞の天野さん http://s.nikkei.com/1vRqRfM
「必ずできるとの信念があれば、あとは諦めないことだ」ノーベル物理学賞に決まった名大教授の天野浩さんは、フランス企業との共同研究のため訪れた同国南東部グルノーブルのホテルで7日、研究にかける強い思いを口にした。


2.ノーベル賞:喜び新た 失敗が生んだ「幸運」…天野さん 
http://mainichi.jp/feature/news/20141009k0000m040075000c.html
毎日新聞 2014年10月08日 21時45分(最終更新 10月08日 22時02分)

  青色発光ダイオード(LED)の開発で2014年のノーベル物理学賞に選ばれた名古屋大学教授、天野浩氏(54)が8日までに毎日新聞のインタビューに応じた。天野氏は数々の失敗の上に築き上げた経験が発明の「幸運」を呼び寄せたと語る。
  天野氏は8日、滞在先のフランス南部グルノーブルで単独取材に応じ、多くの研究者が挫折した青色LEDの実現について「偶然ではなく、そこまでの経験があって初めて実現した」と振り返った。鍵となったのは、LEDの材料となる窒化ガリウムの結晶化技術。1985年、「ビギナーズラック(初心者の幸運)」が起きた。
 「一般的に、高温にしないと窒化ガリウムの良い結晶はできないと言われていた。ところが、その時の実験では、加熱するための炉の調子が悪かった」。天野氏は先輩研究者から「低温の方が良い場合がある」と教えられたのを思い出した。「低温で確かめようと思った」。それが成功につながった。
  先輩の助言と失敗から得た経験の蓄積が実った瞬間だった。「ついにやったか」。一人残った夕方の研究室。「窒化ガリウムの結晶を乗せたサファイア基板はすごく奇麗で、透明でした。研究生活で一番の思い出です」と語る。
  名大では受賞決定を喜ぶ学生たちが待つ。「私のような平均的日本人でも、こんな栄誉をいただける。才能のある人はぜひ、自分の目標に向かってがんばっていただきたい」。記者の質問の「学生を指導する」という言葉を嫌い、「研究を一緒にやってます」と言い換えて笑った。【グルノーブル(フランス南部)宮川裕章】