「自分は、文字を書くのが好きだから」

 パソコンワープロで文字を打つのが当たり前になり、どんどん、ボールペン、あるいは、シャープペンシルでも鉛筆ででも、文字を筆記することがなくなってきている。4年ぐらい前までは、仕事上、ボールペンを多用していたが、それ以降には、パソコン化の流れが容赦なく広がり、今では、一日、まったく字を書かないようなことも、もしかしたら、珍しくないかもしれなくなった。少なくとも、紙に面と向かって、字をしたためるということは、めっきり減ってしまっている。
 それに危機感を抱いたというわけでもないく、何かの会話の文脈のなかで、「自分は、文字を書くのが好きだから」という言葉を耳にして、ハッとすることがあった。そうか、文字を書くのは面倒くさいことではなく、「好き」になれるようなことであったのか、そんな気づきが襲来したわけだ。その人の文字は、かなり整ったものであるなと、以前から思っていたこともあり、彼は、仕事上でも、文字を、そして、その集積でもある文章を書くのが決して面倒ではなかったわけだな、そういう心持で、文字を書き、人に伝えてゆくことができる心の豊かさが、まったく、自分には失われていたなと、そんな思いも出てきた。
 同じく、経文を日常生活に生かしていこうという、精神生活上の個人的な新運動もあったことから、それが、ボールペン字の本で文字を整えなおして、さらに、その上で、漢字書き下し文の経文を、縦書きの便箋にしたためてゆくという、そういう形になって、結実してきた。ボールペン字の練習帳としては、「武田双葉式ボールペン字、筆ペン字練習帳」を買って、書き込んでいる。楷書とともに、行書も最初から練習できるし、小さな達成感を感じれるようなつくりになっている。また、著者の武田双葉氏は、有名な書道家武田双雲の師でもあり、実の母親というだけあって、文字の風格も双雲の文字を生むにいたったような、堂々とした所がある。
 「書」とともに、時を過ごすこと、そんな時間を日常の中に作れるのは、まったく、悪くはない。