福島第一原発勤務歴を持つ小野医師への岩上インタビューから

 先日6月3日に、岩上安身が、また注目すべきインタビューを行ってくれた。


「普通の子どもを産みたいと願ったら差別なのか」 熊本の医師・オノデキタ氏、指摘 〜小野俊一(onodekita)氏インタビュー http://iwj.co.jp/wj/member/archives/12471


 私は、3.11の原発事故後、特に放射性セシウムによる内部被曝の問題をネットで調べている中で、小野先生の「院長の独り言」ブログをみつけた。問題の福島第一原発に勤務していた血液内科を専門とする医師というドンピシャリの経歴と、開業医の片手間でやっているとは思えないような、詳しい調査にもとずいた記事の数々に驚きながら、参考にさせてもらっていた。ツイッターに手をだしはじめ、彼のアカウントもフォローしはじめたが、いつ本業の仕事をしているのかと思わせるほどの、おびただしいほどの発言に舌を巻きながらも、ブログのみからは想像できなかったその奔放な発言ぶりを、楽しませてもらっていた。ただ、健康障害や植物の奇形について、そこまで放射性物質に関連づけてしまっていいものかと、私でもいぶかるようなことも無きにしも非ずであった。
 今回、岩上安身が北九州に仕事で来た機会をとらえて、賛否両論の激しい小野先生へのインタビューを敢行してくれた。実際に顔をみて、話しぶりをみて、あるいは、インタビュアーへの返答の仕方をみることによって、それもIWJならではのノーカットでみることによって、小野先生の実体が伝わってきたと思う。これは、小沢一郎氏への岩上インタビューがなした役割でもあった。しかし、今回は、岩上さんの準備が、やや不足だったかなと思わせるところも、やはりあった。突撃的なインタビューだったころもあるのだろうが、それよりも、その背景にあるかもしれない、岩上さんの入市内部被曝症状をおもわせるような状態が、心配になる所があった。福島第一原発に行き取材した後からあるような、インタビュー中に息が切れるといった、場合によっては心機能、呼吸機能の低下、ブラブラ的な疲れやすさを思わせるような症状があると、ちらっと話をしていた。
 インタビュアー自身の身に、小野先生の目前で現れている健康問題の特徴からも、福島事故は、現在進行形であることを痛感する。岩上氏のように、もともと体力に自信のあるであろう者の方が、セシウムなどの、ばらまかれた長寿命放射性物質に対して無防備になり、内部被曝を加速してしまっているかもしれない。彼は、東北にどんどん取材に行くとともに、食事も気を付けていないということだった。いずれにせよ、わが身の変調が起きてから、その問題がつきつけられるのだろう。そこから、認識が変わらざるを得なくなる。それが、行動に結び付けられるかは、さらにハードルが高くなる。家族、経済、ともに生きる人との将来など当人の認識だけではない、社会的な問題が入ってくる。さらに、朝日新聞、読売新聞、NHKなどのマスコミ情報が、日本社会の共通認識、「空気」を産出しつづけ、せっかく生じ始めた個人の認識に、社会的抑圧をかけてくる。
 そういった悩ましい問題に対して、小野先生は、基本は、自分の実感や、植物や昆虫の変調など、それを元に判断しろ、ベクレルは糞くらえだというが、もっともリアルなのだろうと思う。それは、臨床家ならではの判断基準であろう。データにいくら問題がなくても、目の前の患者の状態に変化を察知したら、そちらを指針にして思考を動かなければ、新たな検査を考えなければ、医者はつとまらない。数々の手ごわい病を相手に勝負し勝ちにもってゆくためには、見出せる病を見逃し、手遅れになってしまう前に、先手を打って動く必要があるからだ。素人でもわかるようになって、病をみいだしていたのでは専門家としては失格であり、治療的にも失敗に終わってしまう。こういった、臨床医の現場感覚が、小野先生には残っているのだろう。また、それが、彼の歯に衣を着せぬ厳しい言動につながっているのではないか。それは、糖尿病の患者に手厳しく食事や運動指導をする、放っておいたら目が見えなくなるなどと脅す誠実な内科医の、耳に痛い忠言につながるものであろう。「福島には人は住めない」「ピカの毒はうつる」というのも、相手や人々を差別するのではなく、相手を長寿命放射性物質の毒性から守るということが、本意であろう。
 逆にいうと、ほとんどの医師は、生態系全体にわたる放射性物質の毒性についての臨床的感覚が、存在していない。その危険性が察知できない。甲状腺がん、免疫不全、慢性下痢、風邪が治らない、心機能の低下、疲れやすさなどの症状について、よくわからず、対症療法しかできず、ただ、なすがままの状態にあるのだろう。いわんや、それを、セミが鳴かずひっそりしした夏になった、ツバメがめっきり減った、植物の形がおかしいなどの自然徴候の変化と結び合わせることもできない。そういう中で、それが当たり前で、「甲状腺疾患は、隠れた国民病」「風疹流行で予防接種を」というような、真因を隠蔽した小手先の解釈、対応が、大新聞、テレビが先導となって、なされてゆく。これは、糖尿病の本態の一つに、運動習慣や食習慣の問題があるということを見逃し、「食べたいもの食べてもいいですよ」「運動なんて、関係ないですよ」と患者を甘やかした上で、血糖が上がればインシュリンを打ち、網膜がやられれば仕方ありませんね病気ですからと説明する。そんな、患者に優しいが無責任で無能な医師に例えられる。
 小野医師は、放射性物質にかなり敏感な者からみても土壌汚染もほとんどなく安全であろうと判断できるような熊本においても、植物奇形が多発しており、ここが安全だと言い切れる状態ではないと話す。土壌汚染や食品汚染のベクレル数とは独立した、そういう自然への観察眼や、どこかおかしいという身体感覚によってしかわからないような、自然や身体の変化に対して無視をきめこむことなく、注意を払うこと、少なくとも想定外にして抑圧してはしてはいけないだろうこと、あいまいなまま甘受することの危険性について、私も共感させてもらった。実際、福島と比較すると「庭の散歩」程度のスリーマイル事故の場合でも、かなり長期にわたり、はっきりとした植物の奇形が周辺にみつかっていたということもある。内部被曝については、自分が、自分の臨床医にならないといけなくなる。国は、あるいはWHOまでもが、「核の傘がないと生きてゆけない」と、わがまま、煩悩を捨てず、国民の健康を守ろうとしない。



ここで、2つ引用
 「顕微鏡下の正確な観察を科学的と称するなら、ベットサイドでの正確な患者観察が科学的でないわけはない。ウサギやモルモットの詳細な観察の記載を科学的と称するなら、患者に関する詳細な観察の記載は、やはり科学的である。臨床医学は、単に化学的、物理的な方法を用いるということだけでなく、観察、検索、解釈、解明のための決然たる、恐れを知らぬ、そして骨身を惜しまぬ努力を必要とする。その意味からしても、臨床医学は科学である。」  Abraham Flexner


「知識が十分でないということよりも、患者をよく診ないことが医師の欠点となる。」 Sir Dominic J. Corrigan




 最後に、岩上安身が、なんとか、小野先生から、原発事故の収束方法について妙案を聞き出そうとするが、「4号機は、一番危険だが、燃料を取り出せばいいからやり方はわかっている。金をかければできる。でも、1〜3号機については、わからない、本場のアメリカでもわかる人はいないのではないか。いれば来てやっているだろうから。」ということになる。今の所、福島第一原発の、「治療」については、世界中で、どこのだれも、根本的な対策を、考え講じることができないのである。今年の3月頃も、東京の放射性セシウムの降下量がかなり上昇するという話題があったが、今後、年余にわたり、このような状態が東北関東、さらに、時間とともに拡散し、西日本、九州、アジア、アメリカ、ヨーロッパと、長寿命放射性物質が30年以上の半減期をかけて、めぐり続けるであろう。つまり、確実には、日本は、「福島第一原発事故」という、不治の病を2011年3月11年に発症した。これは、日本の国土、生態系、そして日本人が、濃淡はあれ、あまねく関与してしまっている。さらに、世界は、地球は、同じ「福島第一原発事故」という、不治の病を、2011年3月11日に発症した。この、病識をしっかりと持つこと、これが日本人にとって、あるいは人類にとっても、第一ではなかろうか。医師と患者が、あるいは、政治家と国民が、不治の病をなかったものとして共犯関係で直面化を避け、甘い日常をずるずると続けて事態をこじらせ、塗炭の苦しみの運命の中に行軍してゆくことがないように。



最後に、もう一つ引用  
「患者は、非常に恐ろしい症状の場合それを言いたがらず、場合によっては忘れようとさえすることがある。実際、患者は自分が重症であるということを示すような情報には、直面したがらない。」
「このような行動を起こす背景には、大きな変化によって自分の人生の平衡が崩れないように、影響力の大きい事柄を、意識下に抑制する機序が働いているかのように思える。」
「医師は、同様の人間的側面が、医師の診断過程にまで、影響を及ぼさないように用心すべきである。もし、事実だとしても、信用したくないような診断名や重篤な症状を患者が訴えることがある。」
「ふつう、医師は、恐ろしい症状に対応したり、気味の悪いことを心に留めたりしないと思われている。それは、そうした所見の意味するところに直面し、それについて患者と話し合うことを無意識のうちに敬遠するからである」 R.D.Judge