「ストレスで鼻血がでる」はデマである

 「ストレスで鼻血がでる」ようなことは、「ない」と、北海道がんセンター名誉院長の西尾正道先生は明言している。


【IWJ記事】2014/07/12 ストレスによる鼻血は医学的に「ありえない」北海道がんセンター名誉院長・西尾正道氏が政府見解を徹底批判
http://iwj.co.jp/wj/member/archives/23830


 しかし、未だに、この医学的な常識でもある「否」が完全に徹底せずに、被曝を過剰に怖がる風潮をいさめるようにして、ネット記事に、「ストレスで鼻血がでることがあるし云々」という言論が、最近になっても載ることがある。



シノドス】2016.01.29 Fri 鼻血は被曝影響だったのか――原発事故のデマや誤解を考える
菊池誠×小峰公子
http://synodos.jp/science/16028
菊池誠 「そう。もちろん、今回の事故でそんなふうになることはありえない。そんな心配をしなくてはならないほど大量の被曝をした人はいないから。鼻血にはいろんな原因があるけど、震災の時に指摘されていたのは、瓦礫の埃などで鼻の粘膜が傷ついた可能性とか、あとは花粉の季節だったことも。それにストレス。」


 医師国家資格の有資格者で、かつ、がんセンター名誉院長の立場であり、内部被曝も含めた放射線の人体への影響についてのスペシャリストである西尾先生の判断の方を、当然、私は支持している。この点は、小野昌弘先生も支持してくれるだろうと思う。つまり、このシノドスの井戸端会議の延長ぐらいの対談の中で、「鼻血にはいろんな原因があるけど・・、ストレス」という最後の「ストレス」は、鼻血の原因としては、明確なデマである。このデマがどこから流布されたのかよくわからないが、原発事故後に多くの報告者がいる鼻血の問題について、その自由な因果関係の探索を、慰撫するように思考停止させるという意味で、悪質なデマである。これは、「美味しんぼ」が問題になっていた時に、荻上チキもラジオで言っていた。小さい事かも知れないが、鼻血の原因についての「ストレス説」は、明確に否定しておく必要がある。この身体的実感を伴った一里塚さえ超えられてしまうなら、より抽象的な原発の危険性など、日本人に対しては、いくらでも無効にできるだろう。
 以下、思考停止しないで、鼻血を起こす原因について、少し探索してみたい。

 
健康サラダ 鼻血の原因
http://www.k-salad.com/sick/feature_c/038_1.shtml
 まず、原発事故後鼻血で、仮に福一の原発事故は関係ないとするなら、ストレスが鼻血の原因となることは医学的にはないから、虚心坦懐に原因を考えるなら、以下の中から、ひとつひとつ自分があてはまるかどうか、考えるべきだろう。

子どもの鼻血の原因
・キーゼルバッハ部位を指でひっかいて粘膜に傷
・幼児がおもちゃのパチンコ玉などを鼻に詰めた
・転んだことなどによる鼻の外傷、慢性副鼻腔炎など鼻の炎症
ティッシュで鼻をひんぱんにかんだため
・咳やくしゃみによる一時的な血圧上昇、暑さによるのぼせ、超高所に行くなど


大人の鼻血の原因
・鼻の粘膜に傷をつけたこと
・一時的な血圧上昇
・高血圧や動脈硬化
白血病、血小板減少病など血液の病気
・肝機能障害、副鼻腔のがんなど


 つまり、具体的には、雁屋さんや、井戸川さん、ロンブー淳さんが、鼻をほじりすぎたのか、福島や栃木でパチンコの玉を鼻につめたのか、あるいは、高血圧や動脈硬化、肝機能障害があったか、白血病、血小板減少症などの血液疾患があったのか、副鼻腔の癌が隠されていないか。議論の多い原発事故との因果関係を考える前に、十分みとめられている原因だったのではないかと、まず考えてみる必要がある。すべてが否定された場合「鼻くそをほじったのではなく、当時の福一近郊で浮遊していた放射性物質を鼻呼吸でとりこみ、鼻粘膜に吸着したため障害が生じた」仮説が立てられる。

 私も、外部照射のみで血小板減少が生じ、鼻出血となったという仮説は、ありえないとは思っている。同じく、心理的ストレスでは、胃潰瘍などの胃粘膜損傷は一般的だが、胃酸もなにもない鼻粘膜は損傷しないので、鼻血が出ることはない。
 それでも、「ストレスで鼻血がでる」という御用仮説を立てたいならば、雁屋さんや、ロンブー淳さん、井戸川元町長が、ストレスで猛烈に鼻くそをほじりたくなる、あるいは血圧が急上昇するという体質であれば、ストレスと鼻血の間接的な因果関係は無理やりにでも考えることができる。しかし、それなら、震災以前の生活でストレスはあっただろうから、彼らは、よく鼻血を出していたはずだ。が実際はそうではなく、なぜ、こんなに鼻血がでるのかわからず、当惑していたからこを、報告し、こだわっているのだ。

 「ストレスで鼻血がでることもありますね」という者は、そんな基礎的な検討もしていない、流布するデマを流している、意識的、あるいは無意識的なデマゴーグだと私は思っている。それでも、ジャーナリストなのであろうか?あるいは、学者を名乗るものであろうか?