追悼 なだいなだ氏

 ツイッターを眺めていたら、なだいなだ氏が6月6日に旅立たれたと知った。中学生時代、彼の「こころの底をのぞいたら」という本を図書館でよみ、独特のひねくれ方、これは無批判な集団的一体化への批判精神でもあるが、それを学んでしまった思い出がある。最近は、老人党というのを立ち上げて、表舞台に出て頑張っているなと思ったり、古本屋で彼の昔の本を見つけると、買ったりしていた。ブログをやっているのを、今回初めて知り、彼も、彼独特の仕方で、靖国神社について、その直接の起源にさかのぼった批判的な記事をごく最近書いているのを知った。また、それを読んで、「大村益次郎」という、長州藩出身で、尊王攘夷にある時点で豹変した、そして透徹した蘭方流兵法家になった、元藪医者がいたというのは初めて知った。彼は、徴兵制を発布して国軍を創設する構想を持つと共に、兵士を、癇癪を破裂させる勢いで戦場に向かわしめるために(これはwikipedia 大村の項にある彼の兵法の視点である)、冷酷な合理主義者として『国軍のよりどころとして、国のために死んだものは、天皇が拝みに来てくれる神社の祭神になれる、という信仰を植えつけようとした』こと。それが、靖国神社の前身である、「東京招魂社」というものであった。
 なだいなだ氏は、無神論者と公言しており、どこに御霊が行っているのかは、皆目わからない。「千の風になって」という無神論者にとって都合のいいメタモルフォーゼの仕方も、彼だったら「そんな馬鹿なことをいわんでくれ」と言うだろう。ブログのほかの日付には、癌を告知されて、本人は余生をどう過ごすか、しっかり考えてゆけるので、非常にいいといっているが、他方、妻・子供の立場からは、どうにも追いつめられて困っている、それをどうしたものかと、精神科医として思案している。その間を埋めるものが、まさに、神であり霊ではあるのだが。ただ、彼は、彼なりに、「なだ、い、なだ」(スペイン語でナニモナイ ト ナニモナイ)と宣言するのだろう。
 そういう彼のご冥福を、遠くから、心から祈りたい。追悼までに、5月28日の記事を引用させていただく。



打てば響く 5月4日 
http://www5.ocn.ne.jp/~nadashig/page008.html#20130504

25回の照射が終わりました。ほっとした隙に風邪にやられ、気管支炎が長引き、ひどい空咳でちょっぴり体力消耗。しかし休んでいる間に考えました。


 人はどう考えようと、無神論者のぼくは、死んだらそれでおしまいです。あの世などなく、地獄も天国も極楽も中世的な人間の夢です。
 死後の話は嘘くさいものばかりですが、その中も一番嘘くさいのが、「死んだら靖国の英霊に」です。国の作りだした国に都合のいい嘘の代表です。英国の首相もしたディスレーリーの残した格言、「嘘には三つあり、ただのうそと、真っ赤なウソと、数字のうそ」の真ん中に当たります。
 靖国の嘘は作った人たちも、その意図も、分かっています。作ったのは大村益次郎です。かれは藩をつぶし、これから国民の多数を占めている農民商人職人で国軍を作るべきだと考えた、当時の人間としては、すごい合理主義者でした。
 その国軍のよりどころとして、国のために死んだものは、天皇が拝みに来てくれる神社の祭神になれる、という信仰を植えつけようとしたのです。かれは自分は合理的に考えられるが、ほとんどの日本人には、その程度の宗教性を国に与えないと、国としてまとまる意識が持てない。それでは、この先中央政府は崩壊する、という危機感を抱いたのでしょう。それを暗殺で死ぬ年に実現させます。明治2年1869年のことです。
 かれは本当に先の見える男で、大阪に一大軍事基地を作ることを、明治2年の死ぬ直前に考え、後輩に計画を立てさせています。東北の後は、薩長が国の敵になると予測し、その大乱に備えさせているのです。
 それで彼の死ぬ年に東京招魂社は建てられた。かれの死後10年、西南戦争が終わり、招魂社に合祀されることになった時に、靖国と名前が変わった。誰を祀るかは軍が決めたので憎き敵を排除します。敵も味方も、日本近代化のための犠牲などとは考えられません。以後、ここの神様は、お国のために命をささげた人という基準を作り、日本の官僚が、選ぶことになるのです。神様が、官僚に選ばれる。その神様をまじめに拝む気になれる人は幸いなるかな、です。
 靖国には台湾神社に祀られていた北白川の宮と蒙疆神社に祀られていた北白川の宮(二人は兄弟だったのかどうか)もまとめて戦後祀られることになりました。半分はこの宮さんのためのものです。天皇家のかかわりがいかに深いかもわかるでしょう。
 英霊ってどんなものですか、死んだら霊になって神社の奥に入るって信じられますか。200万以上もの霊が押し合いへし合いしているのが見る人には見えるのですか、というバカな質問を、国会でも、だれもしない。馬鹿がいなくなったのでしょう。同時に、バカを言える記者も議員もいなくなったのでしょう。



追悼リンク

不登校新聞」の2003年9月のインタビュー記事
http://www.futoko.org/news/page0609-3470.html
なだ先生ならではの、暖かい視線がしみる。


鎌倉市立幼稚園協会 父母の会研修大会 平成9年講演
http://www5.airnet.ne.jp/enjoypc/fuboren/nadasensei-kouen.htm
なだ節全開である。3回ぐらいは、声をだして笑ってしまった。
心の健康というもの、社会の健康というものはなにか、その背後にある権威とはなにか考えさせられる。