「日の丸」象徴をレイシズム、尊皇攘夷的興奮から救出できるか?

はびこる排外主義とレイシズムに日の丸が泣いている|森達也 リアル共同幻想論|ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/34875

新右翼団体一水会鈴木邦男最高顧問が『先ほどの映像を見て非常に悲しくなりました。日の丸の旗が可哀想だと思いました。日の丸はもともと日本の優しさ、寛容さ、大和の国を現す旗です。それが排外主義的なものに使われている。日の丸の旗が泣いていました』」

「日本の右翼の源流といわれる玄洋社は、五族共和や大東亜共栄圏思想を掲げながら、アジアの人々と連帯することを活動の理念とした。そもそもは自由民権運動が彼らの思想の原点だ。ただし大東亜共栄圏思想は、後に軍部に表層的に利用される。だからこそ頭山満は、クォン・デ以外にも、孫文やビハリ・ボース、金玉均やファン・ヴォイ・チョウなど、アジアからの亡命者や政治活動家たちを徹底して庇護しながら、彼らを弾圧する日本政府のやりかたに対しては異を唱え続け、たとえば満州国建国式典への招待には、頑として応じようとはしなかった。」



 このリンク記事も、ツイッターで引っかかって、知ったのだが、これを読んで、日本のもともとの右翼、民族主義大東亜共栄圏の原思想が、どうだったか、はじめて垣間見た。それは、民族相互尊重主義にのっとった共栄圏であり、現在のEUや南米同盟みたいなものが、原思想だったらしい。たぶん、欧米列強帝国からの侵略に対する集団安全保障という局面もあったのだろうと思う。それが、政治家、官僚に盗まれ、日本による植民地政策に変わってしまった。その過程で、大東亜共栄圏ではなく、皇国史観による、天皇を中心とする大東亜皇国圏となる。 日本右翼の源流は、皇国史観にがんじがらめになっていたのではなく、欧米列強に対し、アジア民族を全体として守り、連帯してゆこうとしていたようだ。大和心の原点は、「大和魂」ではなく、そういうおおらかさもあるのではなかろうか。そう見ると、在特会の振る「日の丸」は、泣いている。少なくとも、彼らによって、「大和心」が、日の丸が侮辱されているようにみえる。そこから、ヘイトスピーチ尊皇攘夷的興奮の渦の中から、わが国の国旗である「日の丸」象徴を救い出し、新たな意味づけをして、新生させることはできるのか?国民を犠牲にした戦時体制を敷いた象徴として、日の丸国旗を拒否するだけでは、創造性がない。戦後の、実質は敗戦を踏まえた後に、国家が前にすすむための統合の象徴として、日の丸を、在特会が振り続ける敗戦時のままのイメージから、救い出すべきではないか?すべての日本国民が、誇りを持って振れる国旗に「日の丸」を新生させるべきではないか。

 
   Wikipediaをみると、10代の崇神天皇が、宮廷内に祀られていた、日本の太陽神である天照を、宮廷外で祀るようになったところに、源流らしきものがあるとのことである。それが、「錦の御旗」として、武士の戦いの場に掲げられるようになり、あまり一般的な表現ではない、白地に赤丸というデザインは、源平合戦で源氏側がたてたものに由来するらしい。その後、江戸太平期には、江戸幕府の公用旗として使用され、熱海から温泉を江戸に運ぶ船に、日の丸をつけたりしている。また、対外的には、琉球から中国への進貢船にも、日の丸をつけている。この時点では、日の丸は、「神の国日本」を象徴するものまで、祭り上げられておらず、幕府の公旗であるとともに、紅白の縁起物でもあり、対外的には国旗として扱われていたのだろう。
  それが、黒船来航という対外的な脅威をきっかけに、水戸学と国学のよりあわせの中から、中国のような天明移動の政体変更のない「万世一系神の国」という日本皇国史観がつむぎだされるにいたる。江戸時代の「お国」という出身藩の意識から、神国の天皇につくす神の子、日本人という意識になり、その象徴として日の丸が現れる。これは、元々多神教的汎神教的な神道一神教化し、完全な祭政一致となる教義である。だから、廃藩置県が行われるとともに、神仏分離、後に廃仏毀釈運動(廃仏運動)とも呼ばれる民間の運動が引き起こされた。五百羅漢の首がはねられるなど、イスラム原理主義を思わせる激しい排外気運が、自発的に、民衆の中にも巻き起こるようになったようである。
 この神道の現人神による一神教化は、「古事記」を日本書紀の上に位置づけた本居宣長を代表とする国学と、水戸の「大日本史」編纂事業から発した水戸学の寄り合わせのなかから、対外脅威に刺激される中で出現している。「国学」は、日本の古典に帰れというような、ヨーロッパのルネサンス運動に類似している。ところが、同時に、ヨーロッパには科学精神、批判精神の萌芽があったが、日本の国学には、それが弱く、文献解釈学、言語学だった。そういう違いもなかろうか?本居宣長から、平田篤胤にいたり、古典解釈が、自分の誇大的な日本の選民思想の実証であるとして提示されるようになり、さらに、この世とあの世の形而上学、ドグマに飛翔していってしまったらしい。彼は、昨今のスピリチュアルカウンセラーのような、来世を語るわらべが出現したとみると、必死に、わらべから実状をきいて、学説の参照にしていった。また、彼は、思想形成にあたって、キリスト教、つまり「神の国」やそれに向かった殉死をも内包するような宗教をも参考にしている。皇国に殉死した死者の御霊をまつる、軍部が管轄する靖国神社という施設の背景に、神道と一体化した、そういった彼の幽界観が、影響している可能性はないだろうか。平田は、新興宗教の教祖のような、かなり特異でエネルギッシュな活動や著作をしていたらしい。
  水戸学の中では、「会沢正志斎」が、尊王攘夷思想形成に重要な役割を担っている。やおろずの神の中のアマテラスを、「天祖」として位置づけ、神道一神教化してゆく。小島毅の『靖国史観』ちくま新書刊 に経緯は詳しい。複数の学者が、この「天祖」は、彼の造語といっていいといっているので、そうなのだろう。



以下、Wikipedia 水戸学抜粋

文政7年(1824年)水戸藩内の大津村にて、イギリスの捕鯨船員12人が水や食料を求め上陸するという事件が起こる。幕府の対応は捕鯨船員の要求をそのまま受け入れるのものであったため、幽谷派はこの対応を弱腰と捉え、水戸藩で攘夷思想が広まることとなった。事件の翌年、会沢正志斎が尊王攘夷の思想を理論的に体系化した「新論」を著する。「新論」は幕末の志士に多大な影響を与えた。

 
 天保8年(1837年)、第9代藩主の徳川斉昭は、藩校としての弘道館を設立。総裁の会沢正志斎を教授頭取とした。また、藤田東湖も、古事記日本書紀などの建国神話を基に『道徳』を説き、そこから日本固有の秩序を明らかにしようとした。弘道館江戸幕府の最後の将軍であった徳川慶喜の謹慎先となったが、慶喜薩長軍との全面戦争を避け、大政奉還したのは、幼少の頃から学んだ水戸学による尊皇思想がその根底にあったためとされる。


 明治維新後、水戸学は、その源流でもある徳川光圀とともに、多くの人々に讃えられたが、最も心を尽くしたのは明治天皇である。天皇は、光圀・斉昭に正一位贈位、その後光圀・斉昭を祀る神社の創祀に際して常磐神社の社号とそれぞれに神号を下賜し、別格官幣社に列した。水戸の犠牲の上に明治維新が成り、また徳川慶喜の水戸学に基づく恭順により幕府対薩長という西洋列強の傀儡戦争をも避けたことは、日本の歴史上特筆されることである。後に乃木希典陸軍大将は、明治天皇崩御後、当時の皇太子裕仁親王に水戸学に関する書物を献上した後に自刃している。

引用以上


 水戸の尊王思想が、徳川慶喜をして大政奉還をなさしめ、さらに平田による国学の発展形を取り入れながら、列強から日本の統合性を死守した役割をなした国家神道となった。そして、昭和期には、本来EU的構想であったであろう大東亜共栄圏皇国史観で染め上げてゆき、これまでの成功体験から慢心化して官僚化硬直化した挙句に、進取柔軟な米軍との対戦に敗れ去った。敗戦後の混乱期を経て、サンフランシスコ講和条約が締結され、江戸末期に形成された皇国史観国家神道という新興宗教の、天皇も含むであろう政治官僚軍人勢力が、「親米保守」あるいは、「属米保守」という自滅的で奇怪な変節を遂げた。保守といいながら、国家管理のための、あるいは地位保全のために、いざとなると、いつでも売国に傾く中間管理職となる。靖国を利用した、偽装保守であり、偽装愛国でもある。サンフランシスコ講和条約によって、日本人は、旭日旗の下での幼児的万能感の中に、あるいは、過ぎ去った過去の栄光の夢の中に、閉じ込められたのではないか。主権を奪われた象徴天皇の下に。
 今後、我らが国旗である「日の丸」が、何を象徴するのか、また、未来にむけ何を象徴させてゆくのか。水戸学-明治維新の流れの中でできた新興宗教的な国家神道の硬直化した亡霊から目をさまし、そろそろ日本人自身の手によって、頭によって、再考すべきではないか。独自の統合性を失った集団は、ばらばらになり、結局は、より強力なものに呑み込まれる運命になるだろうから。冷徹にみると、TPPは、結局は、そのプロセスではないか。致命的に困難な問題だが、(カナダは1960年代の国旗制定にあたって、大議論をしたらしい)、誰かが、明治維新を、敗戦を乗り越える、日本の統合性のための理想を語るべきである。それは、第3の黒船襲来ともいえるTPPに、まったく抵抗できずに、資本に、テレビコメンテーターにいいように洗脳されないためにも。ただ、現実は、最近放映された池上彰のニュース解説によるTPP説明にみるように、国民がテレビに、いいように扱われているという、悲しさがある。





【参考「日の丸」画像】
1.ヘイトデモ、国会で追及 「極めて残念だ」安倍首相も追い込まれ
  2013年5月7日  田中龍作ジャーナル 
  http://tanakaryusaku.jp/2013/05/0007081


2.「主権回復の日」式典、反対したのは沖縄だけではない
  国会議員は半数以下、都道府県知事も半数近くが出席せず。「予定外」の時代錯誤的「万歳」。

記録のために記しておこう。
ほとんどの報道では、4月28日の政府による「主権回復」式典の写真は、檀上に座る天皇夫妻の横でスピーチを読み上げる安倍首相のものが多いが、29日朝刊の「琉球新報」の第一面には、二人を前にしほぼ満場が「万歳」の姿勢をしている写真が掲載されていた。

Peace Philosophy Centre Monday, April 29, 2013
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2013/04/blog-post_29.html


 安倍晋三以下に、「天皇は、もう現人神ではないんですよ」「先代ご本人が宣言してますし、国民も知ってますよ」と、脱洗脳するような処遇が必要なのかもしれない。この脱洗脳から、天皇の「神性」によらずして、あるいは、日本人の誇大妄想的な優越民族であるという不遜な、ガラパゴス的な特権意識によらずして、つまり、尊皇攘夷によらずして、いかに、国際社会の中で、日本という国の統合性を、下からも上からも練り上げてゆくのか、あるいは、それを守ってゆくのか、という問いが生まれる。憲法改正論議も、本来は、この点から入ってゆくべきだと思う。
 つまり、日本人にとって、各人の「人権」が尊重されるべきものであるという観念を獲得することは、天皇人間宣言から、これを本気で認めることから、始まるのではないかと思う。人間宣言を本気で受け止めれば、天皇の神性につながるかたちで、自己の存在、権利の基礎を置くことはできない。彼は、一国民と変わらぬ、人間であると、自らいうのだから。その先に、失われた神性の先に、日本人が、自己の存在そのものに、尊重すべき、侵すべからざる基本的人権を見出す方向にいけるのかどうかである。新たな日本の国の統合性として、現人神天皇と人民との、忠孝一本によって形成される国体から、個人の尊厳の方向に、守るべき対象は、移行してゆくだろう。それを、どう日本的に位置づけるのか?


参考リンク
追悼 なだいなだ氏 http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20130609 
  本年6月に亡くなられた、精神科医で作家のなだいなだ氏が書いた、なくなる前のブログ「打てば響く」にて、「大村益次郎」という長州藩出身の冷徹有能な蘭方流兵法家がいたことを知った。もともと医者だったが、そっちの方は藪であったという。彼は、はなから、国軍兵士の士気を鼓舞するという目的のために、戦死者を天皇が拝みにくるような靖国神社を構想した。こういう歴史からみても、靖国は、決して神道の神社などではなく、近代の軍事兵法のソフト面を支えるような軍事施設である。