「人間-天皇」と、日本人の人権天賦 国家神道の新約化

ネット言論界でも、日本会議をのりこえる思想をだしている人はいないだろう。「天皇」が「人間-天皇」となったことから始める、日本史だ。


【過去記事紹介】2014-09-07 「人間天皇」とともに、新しい日本の歴史をつくろう
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20140907



天皇が、人間-天皇になるというのは、日本人における天賦人権説を、歴史的実体と実感のあるものにする。さらに政治的にも確かなものにするため、それ、天賦の人権を守るための徴兵を入れる。イギリス王室のように、軍のトップを象徴的に人間-天皇にして、(これは、勿論、平和憲法の精神に象徴的に位置づけられた、現在の明仁のような、人間-天皇だ)、徴兵には皇太子にも行ってもらう。これで、人間-日本人のための神話的かつ戦後世界的な基礎ができる。かつ、日本神道のような旧来の国家神道にとりつかれている人たちを、怖がることなく「古い思想」「歴史に敗れた思想」として相対化する心の基盤も作ることができる。


国家神道は、天と人との間に、隔絶を置きすぎた。天のために、あるいは、その名を借りて、自他国の人が犠牲になった。その天から人間界に下ったという所から、歴史を編んで行く。敗戦の創造的受容と、メタモルフォーゼだ。


「人間-天皇」には、平田輝胤由来の国家神道がとりいれた、靖国神社につながるキリスト教神の国的な幽界観念ではなく、神の子が人間界に降りてきたという、「イエス-キリスト」的な観念、これは西洋における天賦人権説を基礎づけるものだが、それを日本に導入する。


だから、国家神道を旧約とすれば、私のいっている現行憲法の中での「人間-天皇」の積極的読み込みは、新約だろう。こういう飛躍ができてはじめて、日本も欧州級の国になれるのではないか。そういう内的な国家の基盤を作ったうえでないと、対外的な安全保障戦略というものは、薄っぺらい、企業の対外市場戦略のようなものになってしまう。それは、日本のこれまでの歴史を担った、これはできるけど、これはしないという、重要な判断根拠(これは、戦時においても、相手国の人に「人間」と人権をみる文脈を確保することであると思う)を失ってしまった、傭兵のような軍隊に落ちぶれてしまうことを意味する。今の、曖昧模糊とした、自衛隊員の「きいてないよ」派遣型の安保法制は、そのレベルの話であろう。



Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein
他者を排除せず共存 という西欧で普通に見る教会共同体のあり方が日本ではほぼ不可能に思われます。ドイツの多くの公立学校には道徳教師として牧師さんがおり、生徒にはトルコ人レバノン人など異教徒が普通にいますが、だからといって差別したり排除は原則一切ありえません。


小菅信子 Nobuko M Kosuge @nobuko_kosuge
難題。


sarabande @HSarabande
このシニフィエの場所を、日本に持ち込めるか。それが、現行憲法に息を吹き込めるかだと思う。「人間-天皇」で、その場所を作る。国家神道の新約化。


小菅信子 Nobuko M Kosuge ‏@nobuko_kosuge
そういう思考回路もありうるかもしれませんね。




徳川家康は、関が原で勝った後も、豊臣家の鎮魂や慰霊を行っていき、その勢力をうまく受け流していったが、国家神道も、本来、そういう形でうまく、日本国憲法にあわせるように一部は解体しつつ、再構成して同化させるような流れを要したのだと思う。だが、米国にはそこまでのデリカシーなどない。


また、靖国皇国史観エートスと、日本国憲法エートスは、まったく相容れないような正反対のものとなってしまっている。唯一、つながるのが、天皇である。天から地に下り来たり、人間になった天皇と、専守防衛で国を守り、作ってゆく。そういうところにエートスを変容させ流せる道があるのではないか。だから、本来、ほぼ、先の大戦の従軍軍人が死去しつつある現在、人間-天皇とともに、人間-日本人が参拝できるような、新しい戦没者慰霊施設を、早急に創建するべきであろう。靖国に隊員を祀るようになっては、遅いと思う。



日本国憲法を、本当に日本人の、その辺のオヤジのエートスとつないでいかないと、おそらく、現在の安倍政権のような、米国一部勢力にあやつられた敗者の亡霊、ゾンビのようなものが、日本を再び席巻してしまいそうな気がしている。違憲だからダメのシニフィアンレベルの法律議論では、嫌よ嫌よも好きのうちで、やられちまうような気がする。もっと、「戦後の日本は、こういう世界をつくるのだから、ダメだ」と積極的な心性が欲しいわけだ。