TPP断固反対 自民党公約違反糾弾 演説会・街頭デモ、参加記

1.演説会・デモ参加

 これまでも、2010年10月24日の小沢事件に関連した、マスメディアと検察の横暴を糾弾するデモを皮切りに、ここぞという時には、デモに参加してきた。その後、3.11を経て反原発デモにも数回参加したが、今回、TPPに関して、その時が来たと感じるところがあり、5月12日に新宿まで遠征し、デモ行進に参加させてもらってきた。デモを主催してくれた小吹氏は、小沢事件でもデモを粘り強く打ってくれていて、それに一度私も参加させてもらったが、今回も、お世話になった。デモ活動には、多種多様な人々が群がり、場合によっては、どうしても過激化、極端化する傾向もあるとは思うが、彼は、常識的な市民感覚から、それほど遠くはなれるとこはなく、一般人が参加しやすいデモの形を保ってくれている。日本の特に3.11後のデモ界(こういうものがあればだが)にとっては、貴重な人材だと個人的には思っている。 
 13時から、アルタ前広場で、2時間の演説会があったが、これは最初の部分だけ拝聴させてもらった。冒頭の小吹演説でが、論拠を尽くした上、ついに、安倍晋三売国奴に他ならないのではないかと、そのプラカードが掲げられ、聴衆の間に自然に拍手が沸き起こった。私もその一人だったが、やっぱり、彼のような男がリアルタイム売国奴ということになるのだろうと思う。次のラップ調演者(火炎瓶テツと称するようだ)は、国益とか売国とかいう言葉は、あまり使いたくないと言いながら、あえて言えば「売民奴」と表現していた。それもまた、一理ある表現であると思った。TPPは、国民の立法に関与する主権を、多国籍企業(これは外資だけでなく、日本の企業も含まれる)に売渡し、つまりは、主権を売渡し、国民を主権者ではなく、唯々諾々とコマーシャルに扇動される、単なる物言えぬ消費者の地位におとしめることになると思われるからである。
 その後、16時から、柏木公園発のデモ行進へ。天気もよく五月晴れで、新宿駅周辺の人出は非常に多く、おびただしいといえるほどであり、その中でシュプレヒコールを挙げていった。渋谷や銀座でやった時とくらべると、公衆の数はけた違いに多いような印象をうけた。その中で、「安倍晋三売国奴」というフレーズをコールするというのは、当に王様は裸だといっているようなものである。他にも「日本を守ろう」「日本の農業を守ろう」など、訴えてゆく。6車線ぐらいある公道の上から、新宿ビル街の合間広がる西の青空をしっかり見据え、腹から声を出すことで、さらにそれが唱和することで、何かが天に届くのだと信じる瞬間も持ちながら、デモ行進を続けていった。デモ行進時には、新宿のど真ん中で、信号規制などの交通規制を大々的にやってくれていたはずである。柏木公園に帰る時には、申し訳ないほど、大交差点のど真ん中を歩いて行った。迷惑もこうむった人たちもいるだろうが、日本は形だけでもデモクラシー国家である。警察に申請をすれば、我々には表現の舞台が、日本の中心地においても用意されるのである。この点は、感謝せねばならんだろう。どんな芸能人、芸術家でさえも、警察に言っても、こういう舞台は決して用意されない。市民の訴えに対して用意され、警察も動いてくれるのである。信号を止められた、不愉快な思いをしたという苦情もあるかもしれないが、デモ行進のときだけは、行進が尊重され、それに沿って、街が交通整理される。数十万の人々が行きかっていたであろう新宿において、それが起こるというのは、一つの奇跡といってもいい。我々市民が、その時だけは、主役なのである。



2.デモ参加後に

 昨年1月に参加した時の、「小沢は無実」のコールのときは、爽快感が残ったが、さすがに「安倍は売国奴」コールには、それだけではないものが残る。今の、自分の国のトップを売国奴呼ばわりする後味の悪さと、一方で、それが暴言ではなく、まっとうな批判であることであるというような、葛藤である。多分、聴いている通行人にも、なにかのショックを与えるフレーズではあったと思う。それが、覚醒になるか、否認になるか。ただ、安倍は、「TPP断固反対、ブレない」の公約で大勝した自民党の総裁であり、それを、舌の乾かぬ内に「TPPは国家百年の計」と言い放った者であり、まず、公約違反を確実にしている。つまり政治家として、国民をだましている。さらに、そのTPPの実質は、米国を中心とした巨大企業の利益確保を、日本国の法規や慣習よりも、上におくような、ある識者によればクーデターともいっていい条約であり、その本質は、貿易協定ではない。それを日本の「国家百年の計」とする山口県民の一人、安倍は、売国奴という表現をつかっても間違ってはいないだろう。「TPP入ります」と言って当選してやっているのなら、売国奴ではなく、国民がみずから売国をしているといえるが、「TPP断固反対」と言いながらやっているのだから、国民をだまして、彼が、さらにマスメディアとタッグを組んで売国しているのである。
 ここで、一気に深く考えると、先の大戦の敗戦ということを、国民がどう受け止めるのか、ただ負けましたといって、文化労働慣習など、もろとも米国のいいようにさせるのか、それとも、敗戦から学び、日本という国としてのまとまりを見捨てずに、新たに立ち上がろうとする気概があるのかということが問われている。こういうことの、最終的な問いかけが、TPPへなし崩しに参加するか、それとも、日本人それぞれが抵抗運動を続けるのかということにかかってきている。戦後70年の時点での、戦勝国との関係の持ち方である。これは、売国中間管理職として地位、利益が保障された、かつ、小沢排除にみるように、そのような方向に強烈な外圧、内圧が働いている場に立っている政治家、あるいはマスメディアのキャスターではなく、敗戦した当事者である国民一人ひとりが、眼を開いて立って主張しないと、なにも始まらないのだ。そういうことが問われている。だから、今回のデモは、新宿を通行していた敗戦国民である、われらが同胞日本人への切実な問いかけである。

 
 だが、現首相が売国奴であるというのは、ある意味、どうしようもない事実なのだが、それを、根拠を示すような前置きなく直球で公衆に表現すると、予期しない反応、誤解、拒否を招き、デモ参加者自身にも跳ね返ってくることになるかもしれない。あるいは、デモ隊を守り、監視する警察・公安の組織のトップ、彼らの組織的行動の尊厳の源泉は、現首相である。彼らからしてみると「お前の父ちゃん、人でなし」というような内容を突きつけられていることになる。つきつめると、「安倍が売国奴だ」と叫び歩くことは、もし、我々が単に泣き叫ぶ子供ではなく、本当に大人として筋を通すならば、安倍の権力によって動く者に頼らずに、場合によっては戦うことを内に覚悟してゆく必要が生じる。デモ参加市民に、あるいは、わたしには、そのくらいの覚悟があるだろうか?今回のデモ参加では、そいういう意味での葛藤が残った。警察、公安を含め、素朴で保守的な人々を挑発し対立を生むのではなく、シュプレヒコールの中で、いかに我々の主張に賛同させることができるのかが、デモが公衆にどの程度届き、メッセージが浸透してゆくのかのメルクマールになると思う。また、デモへの市民の参加しやすさにもつながるのではないか。
 だから、売国奴は、前後の文脈のわかる演説ではあってもいいとおもうが、短い言葉だけが勝負の公衆に訴えるシュプレヒコールでは、何か別の、ひねりのきいた、本質をついたフレーズはないかと思う所があった。「安倍晋三は日本の法を売るな」 とか「安倍晋三は日本の国を売るな」さらに、「安倍は日本人の主権を売るな」「日本の医療を売るな」「日本の農業を売るな」とかは、「安倍は売国奴」と内容は同じだが、このヘイト的な言葉自体による公衆の条件反射的な反応は緩和されると思う。警察公安諸君にも、ほうそうかと思っていただけるのではないだろうかと思う。一参加者の感想だが、今回のデモは、そんな思考の波紋をもたらしたデモだった。



ツイッターでの短文報告集。一人ひとりが記者のようなものだ。新宿を舞台にした、マルティチュードによるコモンの形ではないか。
「2013/ 5・12 TPP断固反対 自民党公約違反糾弾 演説会・街頭デモ」
http://togetter.com/li/502084