Europe2020による国際情勢分析

Europe2020報告の最新版 
The de-Americanisation of the world has begun – emergence of solutions for a multipolar world by 2015
http://xfru.it/kJSOQz


 Europe2020は、2006年からドル基軸通貨によるアメリカ覇権が機能しなくなると粘り強く指摘してきたが、さすがフランス、まだやってる。ローマ時代の覇権にまで歴史的にさかのぼり、かつ、現代のホットな政治経済情勢を米批判的に掘り下げている。2020年の秩序を見据えようとしている。私は2006年3月の基軸通貨ドルの危機を現実味をもって訴えるこのシンクタンクの第第一声を阿修羅掲示板で知ってから、時々ウォッチしていた。「ドルを使うのは帝国税を払うようなものである」というのは、記憶に残るこのシンクタンクの文言である。2007年のリーマンショック時には、このシンクタンクの予測が当たった部分があり、2ch経済板でも結構盛り上がっていたが、その後は予想外のアメリカ経済の延命が続くことから、私もチェックすることなく、メールが届くに任せていた。しかし、本日届いたメールを見て、今回の米国連邦政府デフォルト騒動は、Europe2020の分析がリーマンショック以来、久しぶりに晴れ舞台にでてもいいタイミングだと思われた。表向き、債務上限の引き上げについての攻防であるが、ここまでいたるまでの、さまざまな構造的問題をはらむ伏線があり、これは、一時的な妥協により解決できないものであろう。
 そこで、Europe2020のGEABNo78の公開分を、シコシコ電子辞書を引きながら読んでみた。引用されている2つのことわざが、内容を象徴している。一つは、「Trouble never comes alone」シリア攻撃での米国の恥、中央銀行量的緩和不能連邦政府の閉鎖、それが予想以上に長引くこと、こういった米国発の一線を越えたTroubleが連鎖的に起こってきている。メディアは、共和党のTeaPartyのオバマケアをめぐるゴネに焦点があたっているが、実際の所は膨大な債務が問題であり、今回の攻防をギリギリ乗り切っても、次の機会、Troubleがくる。次の機会も、政府閉鎖と世界経済の人質という戦術で乗り越えることは、さすがにできないだろう。カンフル剤だけで延命された、米国連邦政府の「信用」は、次なるTroubleを別の戦略で乗り越えられるか。戦争経済への道、有事演出の道は、見透かされ閉ざされている。国内大規模テロで、新たな敵を作るか?これも、すでにやっている。では、どうするか?TPPで日本人を痛めつけて雄叫びを上げながら搾取している姿を世界に見せつけ、それを米国政府の信用力に変えるのか?それが、オバマソフトパワーで、世界の信用を得られるのか?だが、大企業は租税回避の詐術をつかい、TPPの成果は税金として連邦政府に、そのままは、反映しないだろう。また、政府閉鎖騒動のタイミングが悪く、オバマはTPPを年内にまとめ上げるためのリーダーシップを発揮する機会をも失ってしまった。
 もう一つのことわざは、孫子からの引用、「when it thunders, it’s too late to cover one’s ears.」これはEurope2020のポジショントークになるが、結局アメリカといち早くデカップリングしている国、個人が米国破産の影響を最小限にできるという予測である。中国にも秋波を送っているのが目立つ。「Building a de-Americanised world」こういう主張は、数年前まではチャベスのような口の緩い人が述べていた言葉だが、現在は、公にこの言葉が、北京発でも述べられつつある。(ちなみにNSAを嫌ったブラジル発のネット構想もあるし、新地域基軸通貨を準備する動きもある)文中下の四角い図は、米国債保持者の内訳を示しており、3分の1が外国であり、「中国が弓を引いている」と言うのは、この人質となっている中国保米国債分を、どうするか考えているということが入っているだろう。日本は中国と同等分(1.1兆ドルと1.3兆ドル、約100兆円だ)をもっているが、Bossのために自ら手放すようなことはしないだろう。自分で人質になって自分の利権を守ってもらいたがる守旧勢力の国、日本は結果的にアメリカ覇権のための「人間の盾」だ。
 米国覇権が続き、TPP全盛時代の植民地国、政治経済的主権も「質」に入れられた2等3等国民になるのも、あるいは、米国覇権が崩壊し、多極化してゆくのも、いずれも、日本にとっては不都合な未来である。私は、米国の無法さ、その虎の威を借りる日本の検察行政の無法さから、Europe2020の言うような未来が来る方にどちらかというと加担し、多極化に備えて行動するべきだと思って、小沢一郎を支持していたし、今でもしている。そこまで見据えて動いているのは彼程度ではないかと思う。2008年頃、2ch経済板に「小沢一郎政治塾募集」のバナーが踊っていたのを思い出す。




【参考リンク】当時のスレッドが、検索するとまだでてくる。すごいもんだ。
アメリカ経済はすでに瀕死?Europe2020の警告-2
http://like2ch.com/ag/money6/eco/1180112666/1-
1 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん=sage=2007/05/26(土) 02:04:26
とりあえず立てました
Europe2020は、昨年の2月頃から、ドルを中心とした経済体制が崩壊する日が近いと警告し続けているフランスのシンクタンク。下は先月号の記事。

ttp://www.europe2020.org/en/section_global/190207.htm

昨年3月にアメリカがドルのM3指標(世界中に出回っているすべてのドル量)を中止したこと、石油取引でのドル離れの着実な進行、さらにイラク戦争以降のアメリカ政府・国民に対する世界的な不信感の広がりもあいまって、現在の経済体制を支えているベルリンの壁ならぬ「ドルの壁」が崩壊する日が近いと述べている。

昭和初期以降日本社会の「空気」による社会的感染症

 本日、届きたてのIWJウィークリー19号を斜め読みしたのだが、岩上の最後の後書きのところで、関東大震災時の朝鮮人が井戸に毒を入れたなどのデマ流布とそれによる虐殺事件の経緯について、朝日新聞社専務を経て自民党で大臣を歴任した政治家、石井光次郎の回想録(『回想八十八年』石井光次郎著(【写真URL】http://bit.ly/16vAYx4))をもとに書いている部分があった。山本七兵の「空気の研究」というのを、昨日から繙いており、そこで読んだ印象から、本日ツイートで連投したので、参考までに以下に記録しておきたい。空気に流されることを「恥」として、戒めていた文化が、明治前期まで日本にもあったのだということを、回顧しイメージするだけでも、なにか救いがある。逆に、大正デモクラシーから昭和にかけて、火事場で空気をつくって、それに大衆が集団感染して大変なことをしても、誰の責任も追及されずに済んでしまうような時代精神が台頭してきたことを、この関東大震災時のデマ流布事件の火元(そのキーパーソンが讀賣新聞中興の祖、正力松太郎)と、その後始末のありかたから、読み取ることができそうである。山本七平は、「空気の研究」の後書きで、「空気支配の歴史はいつ始まったのか?」と自問し、ツイートで引用したように昭和期にはいるころ、つまり大震災の頃と考察している。
 「空気」問題について、きちんと本をみておかんといかんと思ったのは、約1か月前、私が以前からフォローしていた想田監督と、出所開けの堀江氏(旧ホリエモン氏)のやり取りをみて、当日朝みた「空気」に関する社説の流れから、一連の実況解説ツイートを行ったのだが、これが、ご本人の想田監督に拾い上げられ、それが、お二人の議論というかジャブ応酬の行方を、別の次元で、抽象化しながら解消するきっかけになってしまったような気がするからである。ただ、ある種の生産的な視点というか、切り口を、荒削りではあっても、あの時に、期せずして提供することができたのではないかと思っている。山本七平は、正直、まともに向き合って読んでいなかったので、この機会に手に取っているのだが、かなり私の問題意識とかさなる論述をしているのに驚く。私は、「知的欠陥を伴う感情論理」と日本的空気について述べたが、それと同じものを、どうも山本は「臨在感的把握」と述べているようだ。この辺の比較考察も含めて、いずれブログに記事にはしたいとは思っている。
 今回は、讀賣という日本の代表的な「空気の素」製造会社の中興の祖でもある、正力松太郎が断罪されずに台頭してゆくような時代についての話である。これは、ある意味、世論が権力に直接つながるという、デモクラシー的政治状況のひとつのゆがみであり、陥穽でもあるのかもしれない。この辺は、構造としては市場での風説の良さが、時価総額企業価値につながる状況のなかで、堀江氏がうまく立ち回ってきたということにも似る。下村にはあったであろう、エリートの日本的な「恥」の意識、あるいは罪の意識、文化はどこに行ったのか?民主主義の戦術と、市場原理至上主義の中で、恥など、またそれに支えられた精神性など無用の長物として、圧殺されたのか?個人的には、それが殺されると、生きがいのある豊かな、まともな社会が成り立たなくなると思っている、のでこんなことをいろいろ書いている。




以下本日のツイート編集引用

 IWJウィークリー19号に正力松太郎大正12年震災時の「空気製造」の現場が書かれていた。
「警視庁の官房主事という立場で「朝鮮人が謀反を起こそうとしている、という噂をあちこちで触れまわってくれ」と、新聞記者たちを煽っていた、というのです。」讀賣のDNAだ。

現代風パロディ
「警視庁の官房主事という立場で「小沢一郎が謀反を起こそうとしている、という噂をあちこちで触れまわってくれ」と、新聞記者たちを煽っていた、というのです。」讀賣のDNAだ。



山本七平「空気の研究」後書きより引用
徳川時代と明治期初期には、少なくとも指導者には「空気」に支配されることを「恥」とする一面があったと思われる。「いやしくも男子たるものが、その場の「空気」に支配されて軽挙妄動するとは・・・」といった言葉に表れているように、人間とは「空気」に支配されてはならない存在であっても「今の空気では仕方がない」と言ってよい存在ではなかったはずである。ところが昭和期に入るとともに「空気」の拘束力はしだいに強くなり、いつしか「その場の空気」「あの時代の空気」を一種の不可抗力的拘束と考えるようになり同時にそれに拘束されたことの証明が、個人の責任を免除するとさえ考えられるにいたった」



 警察官僚出身で、当時朝日新聞勤務の石井は正力の「朝鮮人謀反」にたいする、下村宏(台湾総督府総務長官を経て朝日新聞)の次のようなごくもっともな判断を尊重した。「地震が九月一日に起こるということを、予期していた者は一人もいない。予期していれば、こんなことにはなりはしない。朝鮮人が、九月一日に地震が起こることを予知して、そのときに暴動を起こすことを、たくらむわけがないじゃないか。流言ひ語にきまっている。断じて、そんなことをしゃべってはいかん」と。しかし、現実は、正力の熱心に流したデマは、警察・軍を動かすにまでになり、7800人死亡となる事態となったが(日弁連報告書あり)、日本政府の公式な調査はない。「あの時の火事場の空気でやってしまった」これが大正末期で昭和に至らんとするときの事件である。



wikiで簡単な生育時代を確認してみる
下村 宏  第一高等学校― 東大 1875年(明治8年)‐1957年(昭和32年
正力松太郎  第四高等学校― 東大 1885年(明治18年)‐1969年(昭和44年)
石井光次郎  神戸高等商業― 一ツ橋大 1889年(明治22年)- 1981年(昭和56年)



 江戸から明治初期にかけての「武士道」的な日本エリートの在り方、「空気」にのまれること男子として良しとせずの在り方が廃れてゆき、替わって「空気」を作ってそれを利用して支配する似非エリートが昭和初期にかけて出てくる、一つの事件としてこの、関東大震災正力デマは位置づけられそうである。



Wikiをみると、この件、正力は「失敗だった」とコメントしている。謝罪ではない所が似非のキモにみえる。読売新聞社としての検証報道はあったのだろうか?
wiki引用「1944年(昭和19年)警視庁で正力が行った講演で、この風評流布を「失敗だった」と発言」

IWJ主催『世界が食べられなくなる日』上映会

  去る、8月24日、東京の恵比寿にて、生で岩上さんの話を拝聴することができた。会の主体は、遺伝子組み換え食品へのフランスで起きた抵抗運動を、約2年にわたる実験動物への投与実験を中心にしてまとめた『世界が食べられなくなる日』というドキュメンタリー映画の上映会であった。巨大な腫瘍がたくさんできるという長期投与実験の結果の悲惨さはネットでは知っていたが、遺伝子組み換え農場に乱入して、トウモロコシをなぎ倒してゆく「刈り取り隊」という「過激派」が存在することは目新しかった。専門家も動員した裁判での抵抗運動も含め、さすが、市民革命を起こしたフランスであると思わせるような内容であった。遺伝子組み換え食品は、遺伝子操作された食物自身の長期摂取による毒性もさることながら、それ以上に、農薬使用に対するモラルハザードが起きてしまい、栽培や流通などの過程で、これまでにないような高濃度の農薬暴露によるとしか考えられないような、農家、流通運搬業者への発癌が問題になっており、これが、クローズアップされていた。彼らは、あたかも、原発労働者のようであるが、このドキュメンタリーでは、原子力発電と、遺伝子組み換え農業を、ほぼ同列に扱っている。また、これらの技術の源流は、米国の同一組織につきあたるということも話題となっていた。
 休憩後の、岩上トークでは、この遺伝子組み換え技術に関連した問題を話されるのかと思ったのだが、内容はむしろ、TPPに関連した話が主体となった。TPPについては、ネットで主に情報をしいれていたのだが、改めて岩上さんからまとまった話をきくことで、日本が、この数年で、実質的に米国に併合されてゆき、いわば、本土が沖縄化してゆくであろうこと、また、TPP条項のさまざまな仕掛けによって、日本企業がこれまでのように、対等な形で、米国企業との競争には望めなくなるであろうこと、そんなことが見通されてきた。一昨年12月にバンダジェフスキーの話を等々力で聴いたときは、今後数十年で起きる健康被害をなんとなく見通した気になったが、今回なんとなく見えてきたのは、TPP後に、日本の経済的、政治的主権が、覆されてゆくようなそんな未来だ。これらの制度的転覆のみならず、TPPに反対する大学教員の会が試算した、日本農業の半端ない打撃の話もあった。メキシコはトウモロコシの長い長い歴史的な、産地であったが、米国とのNAFTA締結にて、自国のトウモロコシ農業が衰退し、米国から輸入を余儀なくされるようになったということから、日本のコメ農業も、同じ末路をたどるだろうと。米国にとっては、他国の歴史、伝統などは、たいして重要ではなく、容赦なく利益や、あるいは、食料による他国民の支配の思惑からも、日本にメキシコにしたのと同様の攻勢をかけてくるだろうなと思われた。現在のような、豊かな水田地帯の四季の風物詩も、櫛の歯がぬけるように、姿がみえなくなってゆく可能性がある。夏の田植え、昔よりも静かになったがカエルの合唱、盛夏の勢いよく伸びる緑の稲葉、そして秋の稲穂と刈り取り、こういうあたりまえだが、実は豊な風景が、あと何年維持されるだろうか?
 これだけ、日本の未来にとって、国の独自性、統合性、独立性を維持するにあたっての「致命的な」問題のある協定にもかかわらず、TPP視察団の帰国後会見で、記者クラブ若手記者はまったく上の空であり、岩上さんだけが、団長の原中元医師会会長と取材のやりとりをしてしていたという。それをみて、原中団長が、若手記者を「そんなのでいいのか」と説教する場面もあったという。若手記者からすれば、取材をしても、どうせ、上司に没にされ、記事として載せてくれないということがわかっているからということかもしれないが、そういう事情も含めて、日本のマスコミは、すでに、日本のマスコミではなくなっているということ、また、それに抵抗、反発する勢力が、マスコミ内にはほぼいなくなっていること、これを改めて思い知らされるエピソード話であった。マスコミ幹部を通じて、TPPの最も不都合な真実については、事実上、報道規制がしかれているのだ。
 また、岩上は、汚染水報道を軽く扱う日本のマスコミに対して、何人もの海外記者から狂っているといわれたという。この問題に対するあまりにもの鈍感さから、日本マスメディアの狂いが、外国メディアの人にも、はっきりわかるようになったのだろう。私にとっては、小泉郵政選挙の時から、テレビ新聞(これはスポーツ新聞も含む)が、まとめて狂いはじめたと思うようになり、小沢事件で狂ったと断定できるようになった。あまり見つめたくない事実だが、人権、民主主義、ジャーナリズムこういう価値の土台が中心的なところで崩れた社会に突入しつつあるのではないかと思う。逆に、崩れたことに気付かない、あるいは、そんな価値など数字にならないし、面白くない、そういう者が、ますます幅をきかすようになるだろう。加えて、TPP取材を放棄する若手記者の話を耳にすると、どうも、日本の国としての個性や独自性、食糧自給などの独立性の担保などは、20代、30代ぐらいの次世代を担ってゆく若い世代にとっては、実は「どうでもいいこと」になりつつあるのかもしれない。人権、主権、国としての独自性、統合性は、戦わなければ奪われる。歴史は主体的につくらなければ容易に後戻りするのではないか。
 岩上は、今回繰り返し、日本が韓国併合にあたって、矢継ぎ早にとった攻勢を見直してみよ、と話していた。結局、TPPによって今度は日本がアメリカから、同じ攻勢を受けているという理解である。アメリカの本音の眼差しを思うと、言葉をなくす。この数年間で、あのときの韓国人の立場を、実感として理解できるようになるだろうか。だが、これは、おかしいことなのだ、NOといいつづけようじゃないかと、最後に岩上さんは言ってくれた。マスコミという日本の情報空間の制空権を奪われたなかでの、竹槍反撃のような感じになってきているが、竹槍ぐらいは持っているんだからやるだけやろうと思うことができて幕となった。



【参考リンク】
1.2013/02/21【IWJブログ:「TPPは現代の植民地政策」 米韓FTAの惨状からTPPを考える 〜郭洋春氏(立教大学経済学部教授)緊急インタビュー】
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/59810
米韓FTAの、無茶苦茶な条項の数々が解説されている。これらの意味合いは、市場開放だけでなく、そこで米国企業への利益保証します、利益でなかったら、どうぞ訴えてくださいというような内容である。彼らの金科玉条である「市場競争」をある意味、踏みにじっている。米国の企業法人を介した、韓国内既存諸制度の改変と、その上での市場競争を抜きにした侵攻ともいえる。これが、日本でも起こるのだ。すでに、がん保険では、起こっているではないか!
 全編みたいところだが、正会員はもうひと押しサポートしないとみれない。


・「ラチェット条項」米国自動車が韓国内で売れないと、これは不公平だとして訴えることができる。米国はいくらでも韓国に自動車を輸出できるが、米国内では米国車を保護している

・「間接接収による損害賠償」言語、法、慣習等により、米国企業が『不利益を被った』とみなされた場合、訴えることができる。条文には、『合理的に得られる利益が得られなかった場合』とある。つまり、米国側が『非合理的』とみなせば、訴えることができる『公平な競争』を最も阻害するのは、『言語』という理屈です。公共調達の際の行政文書や法規等も、すべて英語で書かなくてはならなくなる。

・「非違反提訴」というものがある。違反していなくても、『期待された利益が得られなかった』という理由で提訴することができる。

・「サービス非設立権」というものは、法人企業が、その国に登記をしなくても、その国で営業ができるという条項




2.TPPは危険?米韓FTAの恐怖を解説!郭洋春 JAM THE WORLD 平成25年7月28日
https://www.youtube.com/watch?v=X3V8Dspkgzc
以下、簡単なまとめ。


米韓FTAとは一言で言うとどういうものか
 企業の自由な経済活動と、市場へのアクセス、参入、それを保障するために、韓国の法律、制度、習慣がアメリカの企業にとって不利益と思うならば、かえさせる、あるいはかえることができるような条約。


 すでに、公認会計士法とか60以上の法令、条例ががかえられている。アメリカは、韓国の企業の活動のためには、法令は変えたのはゼロ。序文自体に「韓国の企業がアメリカに進出した場合には、アメリカの国内法が適応されるが、アメリカが韓国に進出した場合には、米韓FTAの協定が適応される」とある。非対称的な、不平等協定であることを証明するもので、協定全体がこの精神によっている。政府は、この不平等な内容を公表せず、ただ、自由貿易だという話だった。情報が一部の人に集中しており、国民はもちろん、政府の中にもごく限られた人した情報がいかなかった。
 この協定があると、脱原発や、高燃費自動車の普及のためのエコカー減税、学校給食の遺伝子組み換え食品禁止などのエネルギー政策、環境政策、食料品の安全基準など、米国とは別の価値感で進めることができなくなる。韓国大統領、当時のイミョンバクも、最終的には、自国民にとって利益にならない協定であると認めざるを得なくなり、「安全保障上の利益があるので賛成して欲しい」と、すべての国会議員に書簡を送った。北朝鮮のみならず、中国、ロシア、さらに南の日本といった大国に囲まれているぞと。議論のすり替えがなされた。


全体的な図式
米国の非対称な不平等条約締結のための安全保障問題の利用
 韓国には「日本も怖いぞ」という中で、米韓FTA
 日本には、「イミョンバクも、竹島きてるぞ」という中で、日米TPP
領土問題とナショナリズムを利用したアメリカのアジア分断化戦略と、それにより孤立化した韓国、日本を経済的に、ひいては政治的に併合する政策

炭素税不要という点で、温暖化懐疑論者は原発推進派と同一の立場である

  温暖化問題は、2006年前後に少し調べたり本を読んだりしたことはあったが、「人類の活動による二酸化炭素地球温暖化を起こすというのは、原子力産業が化石燃料からエネルギー実権を握りたいための科学の衣をかりた陰謀的な主張だ」という陰謀論的な温暖化懐疑論者が、副島隆彦グループをはじめ、ちらほら出現していたので、「お前ら本気か」と思っていた。IPCCは千人単位の科学者が、査読された既出論文を、さらに検証して、その時で言いうる科学的見解を、「70%正しい」とか、まどろっこしいぐらいの、確率的な控えめの表現をつかいながら主張してきた。こういう所に、本来の、仮説への反証を十分に経た上でしか、大きな結論はださないぞという、IPCCの愚直な姿勢をむしろみていた私にとって、彼らの営みを原発産業の陰謀論で一刀両断する、評論家連中の浅ましさを感じていた。都合のいい仮説として、原発産業が利用しようとする動きはもちろんあるかもしれないが、この科学的な愚直な、膨大な研究の集積は、否定しようがないものである。しかし、この陰謀論にかかると、「測定」や「科学」自体が懐疑されてしまうような言論の雰囲気を持っているように感じる。
 私は、セシウム137をはじめとした長寿命放射性物質の人体、あるいは生態系全体への悪影響について、バンダジェフスキーを支持しているが、それは、彼が臨床的事例や、実感を無視せずに、しっかりと対象として測定し、科学的に検討し、結論を得ようとしていたからである。これは、むしろ、温暖化問題については、IPCCの姿勢につながっている。 しかし、クライメートゲート事件という、陰謀論者には、格好の材料が2009年にマスメディアから提供されていたが、その後、どうなっていたのか?40度越えの、昨年までとは明らかに次元を異にする異常な温暖化を示す日の報道への違和感から、以下のツイートが始まる。最終的には、陰謀論的な温暖化懐疑論によれば、原発産業は化石燃料を抑制するために炭素税導入を促進したがるはずなのに、現実は、その逆であるということから(下記リンク7.の明日香論文p277最終段落参照)、その陰謀論的な動機づけに根を張る懐疑論は崩れるのではないかということである。言い換えると、日本において、原発推進派は、炭素税、排出量取引などの彼らの主導するといわれる似非科学にとっての果実であるところののCO2削減に実効的な政策を、推し進めるどころか、それに反対している。この点、日本の原発推進派の政治的行動は、温暖化否定論者とまったく重なるのである。これは、温暖化CO2説により、炭素税が導入され、省エネ、再生エネルギーなど進みすぎると、全体のエネルギー需要が減り、ただでさえあまり必要ない、原子力の出番がなくなって困るからということではなかろうか。だから、化石燃料産業 対 原子力産業は温暖化問題では陰謀論がいうほど対立はしておらず、本当の対立は、化石燃料原子力などのエネルギー多消費産業と、炭素税・省エネ政策、自然再生エネルギー産業ではないだろうか。この現実を考慮すると、陰謀論温暖化懐疑論の日本における普及は(一種の知的ファッションになっている向きがある)、原発推進派にとっては、意外な援軍となっているはずである。


ツイート読むのが面倒な人向けに、今回の検索で習得したリンク集を先に提示しておく。

1.気候研究ユニット・メール流出事件  (クライメート事件のその後)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88


2.環境省サイト IPCC第4次評価報告書についてより
独立レビュー組織による「クライメートゲート事件」レビュー報告書に関する英国イーストアングリア大学の声明
http://www.env.go.jp/earth/ipcc/ipcc_statement/20100708.pdf


3.国連及び気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の要請に応じた、IPCC のプロセスと手続についての、科学アカデミーによる独立レビューの実施
http://www.env.go.jp/earth/ipcc/ipcc_statement/20100310a.pdf


4.地球温暖化に対する懐疑論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%87%90%E7%96%91%E8%AB%96


5.【直球&曲球】野口健 「地球温暖化対策」はどこへ消えたのか - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130808/trd13080815310008-n1.htm


6.COP17/CMP7(ダーバン会議)の結果と評価 2011年12月 気候ネットワーク
http://www.kikonet.org/theme/archive/kokusai/COP17/COP17result20111228.pdf


7.『日本の温暖化外交が死んだ日』 「世界」2012、4月  明日香壽川
http://www.cneas.tohoku.ac.jp/labs/china/asuka/_src/sc295/90A28AE8AF18De201294N48C8E8D86.pdf
上記で指摘したp277最終段落を挙げておく
「いずれにせよ、福島原発事故以前は、「日本では原子力があれば省エネも再生エネも不要」という一部の政府関係者やエネルギー産業界の勝手な理屈によって、実質的な温暖化政策がストップさせられていた。例えば、炭素税や排出量取引などの実質的な温暖化対策に反対していた人たちと、原子力発電を推進していた人たちは、ほぼ完全に重なっている」


8.『地球温暖化懐疑論批判』
http://www2.ir3s.u-tokyo.ac.jp/web_ir3s/sosho/all.pdf#search='%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96%E6%87%90%E7%96%91'
明日香壽川 河宮未知生 高橋潔 吉村純 江守正多 伊勢武史 増田耕一  野沢徹 川村賢二 山本政一郎

 この分野の日本での草分け的文書だが、懐疑論者の槌田氏に「名誉棄損」で訴えられ係争中らしい。それもあってか、表からはリンクがみつからないようになっているようだ。この問題は、まさに、天動説に無邪気に残るか、コペルニクス地動説を受け入れるかどうかぐらいの歴史的問題である。





1.後藤、星のツーショットを惜しげなく晒す、テレビ朝日猛暑報道への不快感から、ネットでの検索へ


日曜報道ステーションをみると、後藤と星のニコニコツーショット。これだけでも終わっていると思うが、40度越えの猛暑に対しても、ひたすら熱中症予防を、と医師をだして症状解説。太平洋高気圧が活発ということだけしか原因はのべず、この数十年来つづく明らかな気温上昇傾向を完璧に無視。


一貫性と常識を保つ報道番組であれば、地球温暖化の議論は今どうなっているのか、CO2の要因は、他の人間活動あるいは太陽活動の要因は?と、再考する絶好の機会だが、完全に黙殺。「かえるが、なべの中に入れられ知らないうちにゆであがっていく」を、地でいっている状況にある。


この猛暑に関して、「太平洋高気圧ガー」と目前の要因だけで説明し、納得させるのは、放射性物質内部被曝要因を隠蔽するために、だれでもわかる「ストレスガー」と繰り返すことと同じである。


2005年ぐらいの時点までは、地球温暖化問題は、テレビニュースではタブーのような扱いで、現在のような状況にあった。ある時点で、報道ステーションが大々的に温暖化特集を組み、大企業コマーシャルも「温暖化に取り組む」といった内容になった。ここで、経団連報道規制を解除したのだと思う。


3.11以降、原発問題もあり、なんとなくうやむやになり、さらに、クライメートゲートというCO2説を疑問に付すような事件で、うやむやにされた。これまでも、CO2説は、石油会社側から執拗な攻撃にあっているが、今回の事がどの程度政治的で、どの程度科学的なものか、集中的に議論すべきだ。


仕方ないので、自分でWikipediaで、クライメートゲートに関する項目をみてみた。あの後、数年間かけて英国政府や、温暖化懐疑論の物理学者などが、データをすべて検証しなおしたが、科学的な不正はみつからず、地球温暖化二酸化炭素主因説は、覆っていないということだ。


気候研究ユニット・メール流出事件  (クライメート事件のその後)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88
調査結果の発表後、ニューヨーク・タイムズニューズウィーク誌で、メールの内容はそもそもスキャンダルではなかった[25]のであり、事件と同様に調査結果も大きく報道されるべき[26]などの指摘がなされた。


気候変動に関する研究者は、当該の文章は選択および歪曲されたうえで文脈を無視して公表されたと主張している[4]。CRUの研究者は、その電子メールは「文脈が無視されており、正直な意見の交換を単に反映した」ものであると述べた[33]。


この事件は一般のメディアでも報じられ、標的とされたUEAのCRUの所長が一時的に所長職から離れる等の事態となった。しかし公的機関による調査の結果、不正の事実は何も見あたらなかった。科学的にも、CRUの報告に疑念の余地が無いことが当初から指摘されており、新たな分析でも一致する結果。


2010年3月、英国議会の庶民院(下院)は調査報告書を発表した[23]。メールに見られたtrickなどの口語は事実を歪めるような企みを意味するものでは無く、またジョーンズが査読プロセスの妨害を図る内容も無かったと指摘している[24]。


またジョーンズが当初データの開示要求を中傷と見なし、開示を拒んだことは理解できると指摘する一方、UEAが事態の収束のためにより速やかに公開を進めるべきであったとも指摘している[24]。


またデータそのものの正当性の判断に関して、報告書は下述のOxburgh卿の率いる評価パネルに判断を委ねた[24]。2010年4月14日、Ronald Oxburgh卿の率いる科学評価パネルは、CRUの科学研究には不正は認められないと報告した[5]。


一言で言えば、クライメートゲートは研究者のメールハッキング、意図的な解釈による、小沢冤罪事件のようなものだったということである。クライメートゲートの報道は、私の耳には届いたが、その後の誠実な調査結果は、まった報道されていない。か、小さく、きづかないような扱いで記事になっていたか。


つまり、クライメートゲートは、政治的なものだったということであり、その目的はかなり達成されている。「小沢は金の亡者だ、政治屋だ」という意識が庶民に根付いているように、地球温暖化を言う科学者は、眉唾物だという意識だ。


地球温暖化対策は、ヨーロッパのみが、誠実に履行しようとしている。結局、科学文明を生み出した、社会的土壌、深みがあるのか、それとも、それを猿真似して発展しようとするだけの社会なのか、それを反映しているのだと思う。


この点を、クライメートゲート後を、さらに地球温暖化の進行の危機を、報道するメディアが、まったくない。IWJもしないし、むしろ、温暖化論懐疑派のインタビューをしていたりする。放射性物質問題と同程度か、より重要な、喫緊の課題であるにもかかわらずだ。


クライメートゲートについては、あれだけの検証がなされ、事実無根だということが判明したというにもかかわらず(Wikipedia記事参照)、ほとんどの人は、まだ温暖化人為説が、あれによって決定的な打撃を受けたと判断している。


副島グループが、これを陰謀論として否定し、中途半端な文系脳はこれだからだめだと思っていたが、それが、ネット界ツイッター界でもかなり、一般的な見解になっているようだ。そんなんでいいの、日本人よ。


温暖化二酸化炭素説がネット界でも受け入れがたいのは、反原発のバイアスがかかっているからかもしれない。あれは、原発企業のプロパガンダだと。


一言で言えば、クライメートゲートは研究者のメールハッキング、意図的な解釈による、小沢冤罪事件のようなものだったということである。クライメートゲートの報道は、私の耳には届いたが、その後の誠実な調査結果は、まった報道されていない。か、小さく、きづかないような扱いで記事になっていたか。



2.地球温暖化の実感を素直に認める人、それを裏付ける地道な科学的営みと、それを簡単に否定するコメンテーター、評論家

しかし、一つの命題、文章を書くために、数年の研究をついやすような地道な仕事をしている研究者が、束になって、何年も何年も積み重ねた研究結果を、「捏造」と断定してしまう日本の代表的論客たち。科学と世論の乖離。少なくとも、科学は世論よりも頑強である。


【直球&曲球】野口健 「地球温暖化対策」はどこへ消えたのか - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/life/news/130808/trd13080815310008-n1.htm… /現場をみてきた、野口さんだけが、今のところ、私の味方だな。現在の日本も立派な現場だと、なぜ思わないのか不思議だが。


引用 「そんな中、昨年5月にヒマラヤで大規模な洪水が発生。ネパールのメディアは氷河の崩壊により川がせき止められ、氾濫したのだろうと報じた。直後に私もその現場に飛んだがいくつもの村が跡形もなく消えていた。」


IWJの伊藤公紀インタビューみようと思ったら、サポート会員という上級会員でないとみれなかった。しかし、ヒマラヤの氷河が勢いよく融けるという報道は、誇張された根拠のない報道だった、リテラシーが大事だと。本当だろうか?野口さんも誇張なのだろうか?


ホッケースティックは、嘘だ、統計的なトリックだという。実感はどうなのだ。1970年以降、明らかに上昇しているという実感は、否定するのか、リテラシーがないから、実感は否定するのか。それから、クライメートゲートの総括については、Wikiの触れていたことは、まったく触れていない。


池田香代子が、放射性物質の危険性を心配し自主避難している人たちを哀れんで、「科学がわからず、リテラシーがないから動いた人たちだけど、共感はしてあげる」風の言い方をしていたが、私は実感を無視するリテラシーは眉唾だと思う。


ヒマラヤの流された村の少女は、伊藤公紀の温暖化セカンドオピニオンを読んで、「リテラシー持たなきゃ、氷河が急に融けるなんで、誇張されてるだわ。そんなひどくないんだ」と思って、村に留まっていたかもしれない。発言者が現場感覚のある科学者かどうかが、重要になる。これは意外と難しい。


温暖化問題に向き合えば、同時に、原発問題にも向き合えば、地熱、風力、水力、波力などの自然エネルギーになる。そのくらい、人類という種、人間活動は追い込まれて、袋小路に来ているのだという自覚である。ニュー江戸時代に発展してゆけばいい。


「専門の研究者からはデータ捏造を疑う声が上がっていないのに対し、リンボー等の多くの保守系コメンテーターはデータの捏造と断定しており、人為温暖化はhoax(ウソ)であるとの以前からの主張の補強に援用している。」


35.^ Guardian該当部分直訳は、「陰謀論者がお祭り騒ぎをしている。が、陰謀論者らがもしまともに研究の世界のことを知っていたなら、出版された論文やデータセットが、常に別の研究者グループによって、継続的に厳しい目でチェックされていることがわかるだろう。」


IPCC報告書に用いられた情報は、科学の全分野の中でももっとも厳しく論議され、試されてきた部類に入る。」このガーディアン記事も、懐疑論者にいわせれば、IPCCは利権の巣窟で、一笑に付すかもしれんが。


地球温暖化に対する懐疑論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%87%90%E7%96%91%E8%AB%96
ここに、武田邦彦、伊藤公紀が、懐疑派に分類されている。日本の懐疑派は、「遅れてやってきた懐疑論」で、ガラパゴス現象のようである。夏休みの宿題ができない生徒の、強引な言い訳みたいなものか。ただ、いずれ、克服できるものだとは思う。




3.明日香教授の「日本の温暖化外交が死んだ日」と、COP17でのダーバン合意 
  日本はすでに、詭弁を弄して、温暖化防止策から降りていた

『日本の温暖化外交が死んだ日』 「世界」2012、4月  明日香壽川
http://www.cneas.tohoku.ac.jp/labs/china/asuka/_src/sc295/90A28AE8AF18De201294N48C8E8D86.pdf


明日香教授の名前は知っていたが、武田と明日香が、「たかじんのそこまで行って委員会」で、2010年に討論していたようだ。さらに、懐疑論者の槌田氏から、明日香による「温暖化懐疑論批判」が、名誉毀損に当たると訴えられていた。通りで、見れなくなっているわけだ。


その裁判記を、明日香の論法がおかしいという趣旨で、脱原発団体たんぽぽ舎の方が、熱心に書いている。なんだが、日本ならではの屈曲したどろどろした、抜け出せないような罠に、地球温暖化論ははまっている。


地球温暖化懐疑論は、普通は、米国では茶会派、進化論否定論者などと重なるとのことだが、日本では、妙に、進歩的な脱原発論者と重なってくる。本来ならば、温暖化懐疑論を批判するであろう立場のジャーナリストが、懐疑論に染められる。


日本の脱原発団体が染まる、熱心な温暖化陰謀論を、むしろ、米国共和党系・自民党経団連系の温暖化対策を本気でやられたらかなわん人々が、うまく日本の世論形成に使っているような、そんな構図もないだろうか。


直接的な石油利権のある自分たちがやるよりも、陰謀を暴く正義のジャーナリスト、学者にやってもらったほうが、楽だろう。原発事故から、科学者や科学政策への不信がたかまり、それが、温暖化理論をつくった科学者への不信につながっている。


石油系の温暖化理論攻撃の最後っ屁のクライメートゲートを、日本の反原発団体がしっかりと受け継ぎ、原発事故後の御用学者批判の中で開花した。こんな構図か。


COP17/CMP7(ダーバン会議)の結果と評価 2011年12月 気候ネットワーク
http://www.kikonet.org/theme/archive/kokusai/COP17/COP17result20111228.pdf
京都議定書後をどうするか決める会議の合意内容。米国の単独離脱行動に、日本、カナダ、ロシアが悪乗りした構図。EUは先進国としての姿を見せ続けた。


連投1 『日本の温暖化外交が死んだ日』 「世界」2012、4月  明日香壽川 http://www.cneas.tohoku.ac.jp/labs/china/asuka/_src/sc295/90A28AE8AF18De201294N48C8E8D86.pdf 「しまうま珈琲」なる名古屋系喫茶店で、40分ぐらいかけて読んでみたので、岩上兄貴ばりに、ポイントと思う所を連投開始します。


連投2 最終日、合意形成の後に、EUの交渉担当トップのヘデゴーが各国の交渉担当官と抱き合う姿があった。その喜びの輪の中に、日本の交渉担当官はいなかった。


連投3 会議で最大の焦点だった京都議定書第二約束期間設定に関しては、反対した日本などの国々も、賛成した国々も、どちら側もその理由を「世界の温暖化対策を前進させるため」としていた。では、どちらが間違っているのか、あるいは、嘘をついているのか?


連投4 日本と同じポジション(すべての国が参加しないと決めても意味がないから入らない)をとるのは、194カ国のうち、ロシア、カナダ、米国の3カ国のみで、圧倒的な少数派。


連投5 これら3カ国の政策決定に影響力を持つ勢力は、化石燃料産業やエネルギー多消費産業などに従事し、既得権益を損なうという理由で、温暖化対策に反対している人たちである。


連投6 それぞれ、温暖化対策否定派を支持基盤としており、大統領や首相が、温暖化など起きていない、CO2が温暖化と関係ない、温暖化したほうがいいといった、温暖化懐疑論にもとづく発言をする。


連投7 中国、インドなどの枠組み参加という以前に、温暖化対策への必要を感じていない。(注 この圧倒的少数派の4カ国の主要政治家たちが)


連投8 そこには、自分たちの利益への関心はあっても、国益地球益への配慮はない。・・温暖化によってより大きな被害を受ける脆弱な国々であるアフリカ諸国や小島ショ国はどう考えるのか?そして、言うまでもなく、彼らこそが京都議定書第二約束期間を強く望んでいた国々だ。 


連投9 (自己注 温暖化懐疑論者たちは、アフリカ諸国、小島ショ国にいって、是非、自説を述べ、CO2を遠慮なく出して、われわれと発展しようと言ってきたらどうだろうか?)


連投10 その主張が間違っている、あるいは嘘をついているというのは、米国、ロシア、カナダ、日本の4カ国の方である、少なくとも国際社会ではそういう認識が主流である。


連投11 現在、米国における政治的現実がまともではない。大統領選共和党候補全員が、共和党員であることの踏み絵として「自分は気候変動に関する科学を信じない」あるいは、「オバマ温暖化対策法に反対」と表明せざるをえない状況。


連投12 すなわち、共和党と米国議会、特に上院は、温暖化対策懐疑派にのっとられているといっても過言ではない。


連投13 これに応じた日本政府の主張は、京都議定書第二約束機関を抹殺するだけでなく、国際社会全体を、温暖化対策に関する規制もインセンティブも何もない無秩序で混沌とした世界に逆戻りさせてしまうことになる。


連投14 (自己注 米国との集団安保、自衛権発動体制も、同じく、潜在的に、国連安保理を骨抜きにしかねない要因になると思う)


連投15 世界中の国が参加しない枠組みは実効力がないから参加しないという日本交渉ポジションは、世界の26%でも一緒にやることを否定し、0%の状況を招くものであるが、日本政府は明確に、それを日本の環境外交の獲得目標としたと言える。


連投16 COP17では、日本などの実質的な妨害にもめげずに、EUと途上国、特にアフリカ諸国や小島ショ国などの温暖化被害に苦しむ国々が妥協を重ね、合意作りに最大限の努力をした。一方、日本は、実質的に交渉の足を引っ張って、最後は無視された存在であった。


連投17 (自己注 これが日本の今後の国際社会での位置づけを、占っているようで、嫌になる。自己中、利益重視で、いざとなったら米国とつるんで脅しに入る。自国民はブラック社会に苦しむ)


連投18 実質的に法的拘束力を脱した日本は、温暖化対策に対する意識は緩まるばかりである。残念ながら、2020年まで、外交、国内対策という意味でも、日本が「失われた8年」を迎える可能性が高い。(日本は、すでに温暖化対策はもう形骸化した環境になっているとは知らなかった)


連投19 多くの日本政府関係者は、明らかに世界の温暖化政治のダイナミズム、そして、早急な温暖化対策を必要とする人々の強い意志を見誤った。


連投20 日本政府は国際社会からの信頼を喪失し、そして悪役になってまで、何を守ろうとしたのだろうか?端的に言えば、経団連などの国内支持基盤への義理とメンツである。


連投21 さらに環境先進国と考えられていた日本のイメージ低下は、日本のビジネスにも大きなマイナス影響となる。(これは靖国参拝を公然と認める国に、ミャンマーが大規模空港工事を受注しないだろうことと、重なる)


連投22 日本は、いくつかある選択肢を自ら葬り去った。・・現在、日本においては、複数の政策オプションに対するコストベネフィット分析を冷静に行なうキャパシティがない。それは、霞ヶ関の責任というよりも、永田町の責任である。・・日本のマスコミ報道も批判されるべきである。


連投23 各国は日本の不作為に対して、「温暖化対策をしたくない国」という決定的なレッテルを貼ったのである。現在、国際社会が日本に対して持っている感情は、おそらく、私たち、温暖化対策を進めるべきと考える研究者が温暖化懐疑派に対して持つ感情と似る。それは一言で言うと「諦め」である。


連投24 例えば、米国において温暖化懐疑派とかなりダブっている茶会派のような人たち(進化論否定論者ともかなりダブっている)を外国人の我々が説得するのは現実的に不可能なのである。


連投25 論理も倫理もない人たちにつきあうのは疲れる、時間の無駄だ、というのが、少なくとも温暖化問題に関しては、国際社会が今の日本に対して持つ感覚なのである。 (よーわかるわ)


連投26 「汚染者負担原則」は深く語られず、加害者として自分たちが排出している温室効果ガスが、脆弱な地域に住む世界の人々を苦しめている(40度連日超え、2桁の死者をだしている、さらに出すであろう日本も、もう例外ではない)という自覚がない。


連投27 地球温暖化問題は、CO2という希少資源の配分問題だ。・・温度上昇を2度に抑えるためには、2049年までに1440ギガトンしか許されない。これは、1440ギガトンを、現世代、および、次世代で、なんらかの公平性の原則に基づいて分配しなければならないことを意味する。


連投28 洪水や旱魃に苦しむ国々は、この公平性にこだわっているのである。その切羽詰った状況や思いつめた意識と、日本に蔓延する「エコ」とか、「地球に優しい」という浮ついた言葉との間にある格差の圧倒的な大きさには悲しくなる。


連投29 温暖化問題の交渉は、公平性の問題を十分に認識していかなければ、絶対に前に進まない。それは、水俣病でも福島原発事故でも、加害者であるチッソ東京電力が、ある程度加害者であることを認めなければ合意は成立しないのと同じである。(懐疑論は、加害者責任を免責する論理にもなる)


連投30 原子力が温暖化防止に役立つと喧伝していたのは日本政府と原発関連企業とマスコミだけである。・・積極的に推進していた研究者も一握りで、それもなんらかの形でエネルギー業界とつながりがある人たちが大部分である。


連投31 福島事故以前は、「日本では原子力があれば、省エネも再生エネも不要」という一部政府関係者、エネルギー業界の勝手な理屈によって、温暖化対策はストップさせられていた。


連投32 例えば、炭素税や排出量取引などの実質的な温暖化対策に反対していた人と、原子力事業を推進していた人たちは、ほぼ完全に重なる。


連投33 (自己注 これが決定的だと思う。原子力推進派が、化石燃料を否定し原発に移行させるための、温暖化論の黒幕なら、率先して炭素税も推進すべき所を、彼らはそれに反対しているのだ。この点で、原発推進派と、温暖化論懐疑派は、結果として、政治的に一致する事実がある。)


連投34 (温暖化懐疑論者は、主張するのはいいが、炭素税の必要性を否定し、エネルギー需要を増やすという点で、原発推進派に利用されないように注意すべきである)


連投35 結局、すべての問題は、政策決定のプロセスに行き着く。・・逆に、エネルギー政策をめぐる利権構造を変えない限り、温暖化対策をすすめることは絶対に不可能である。・・京都議定書第二約束期間に参加しないことになり、炭素価格付けに関するインフラは瓦解寸前にある。


連投36 これまでの日本では、外圧(災害、中国、米国など)が国の基本的なシステムを変えさせてきた。もし、原発事故という大きなきっかけがあっても、日本のエネルギー政策、そして結果としての温暖化政策を変えることができないのであれば、どのような外圧が必要になるのか


連投37 考えるだけでも恐ろしく、かつ悲しくなる (現在の40度越え、熱中症で死者多数というのが、「外圧」になるか。しかし、すでにそれを温暖化問題と関連付ける「脳」が(ジャーナリズムが、IWJでさえも)ないから、どうしようもない。だから私が連投デモをした。)



4.「炭素税不要という点で、温暖化懐疑論者は原発推進派と同一の立場である」  陰謀論温暖化懐疑論者の自己矛盾

温暖化問題で騒いでいるのは、稀人な情勢だが、この辺でひとつ区切りにして、記事にまとめておく。「炭素税不要という点で、温暖化懐疑論者は原発推進派と同一の立場である」日本の温暖化懐疑論者は、ほぼ反原発論者だが、彼らが実行力を持つ政策レベルで、同一の方向性を示すという矛盾。


この矛盾により、日本で懐疑論者が頑張れば頑張るほど、原発推進論者は、炭素税導入の必要性もなくなり、有難い情勢になる。政治的には、この点で、温暖化懐疑論者は、原発推進勢力を助けていることになる。


「え、温暖化懐疑論者は、気候温暖化の背後にある原発企業の陰謀を暴くのではなかったの?逆に、日本では、原発企業の都合がいいような世論を作っているの?」どうも、結果としては、そうなっている。これが、今回のポイントである。


懐疑論者の動機としては、別だろうが、結果としては、そうなっている。武田先生が、岩上安身ほどには、テレビで忌避されない理由は、そういうところにもある、かもしれない。


環境省サイト IPCC第4次評価報告書についてより
独立レビュー組織による「クライメートゲート事件」レビュー報告書に関する英国イーストアングリア大学の声明
http://www.env.go.jp/earth/ipcc/ipcc_statement/20100708.pdf


「本日、3番目の、そして願わくば最後の、徹底的な独立レビューが、我々の科学に対する言いがかりによるこの圧倒的な攻撃を、根拠のないものとして明らかにしました。」


「我々が望むのは、コメントする人々が、この大変詳細な独立報告書が述べていることを精確に考慮し、最終的には陰謀説や世間に流布している虚実・誤解を捨て去ってくれることです。」 岩上さん、目醒ましてくれんかなあ。


国連及び気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の要請に応じた、IPCC のプロセスと手続についての、科学アカデミーによる独立レビューの実施
http://www.env.go.jp/earth/ipcc/ipcc_statement/20100310a.pdf
気候は人間活動によって変化しており、その影響は既に世界中で実感されている。
むしろ、より最近のデータで示唆されるのは、IPCCの2007年報告書は人間活動による気候変化を過小評価していたことである。
そう、IPCCの温度上昇予測は、実感から見ると、あと世界政治状況からみると、甘すぎると思う。



P.S. 明日香教授他が、かなり以前から精力的にネットで発表していた「地球温暖化懐疑論批判」から発展した文書PDFが見つかったのでリンクとして提示しておく。
http://www2.ir3s.u-tokyo.ac.jp/web_ir3s/sosho/all.pdf#search='%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96%E6%87%90%E7%96%91'
明日香壽川    河宮未知生    高橋潔 
吉村純      江守正多     伊勢武史
増田耕一     野沢徹      川村賢二
山本政一郎

ドイツ産業界の応援で成立した経緯をもつナチス

  Ph.Dの称号も持つ指揮者で音楽家の伊東乾氏が、麻生副総理のナチスの手口に学べ関連で、かなり本質的なツイートをしていた。彼は、よくわからないほど多才な方なのだが、ドイツでナチズムについても調査していたことがあり、今後、まとめてなにかしないとと思っていた所だったとのことである。ツイートで短いやり取りができたので以下付記。


Ken ITO 伊東 乾‏@itokenstein
だから声を大にして言わねばならない。ナチスの事例は「特異」なんかじゃなく経済合理性を過度に優先すればどこでも起き得る優等生の解である事、さらに言えば国連ベースでは戦後の西ドイツと日本は同じ目線で見られており、余計にナチス以前以降の経緯を日本は等身大のケースとして参照すべきである事


sarabande‏@HSarabande
@itokenstein この点が、非常に重要だと思います。田野慶子「ドイツ資本主義とナチズム」によると、ナチズムには官僚、軍部から反対の声はあがったものの、経済界・企業家からは、一切上がらなかったということです。現在のコーポラティズムの極まりがどこに向かうかを、暗示もしています


Ken ITO 伊東 乾‏@itokenstein
@HSarabande バイエルン産業界の後押しで成立した政権という面があると思います。


sarabande‏@HSarabande
@itokenstein そうですか。そこまで産業界と図星の関係があったとは思いませんでした。今の有力政党を見渡してみると、危ない危ないと思ってしまいます。




 ナチの思想、ヒトラーのカリスマが、魔力的に民衆をひきつけたのが半面あり、後の半面は、産業界の応援があったということだ。後の半面の存在が示すことは、市場原理が、あるいは資本が、暴力性、侵略性につながるためには、あと一つ、ちょっとしたスパイス思想、優越民族思想と、他民族、他宗教への侮蔑、権利はく奪があれば、事足りるということを示している。例えば、「イラク〜、アルカイダ〜、大量破壊兵器〜」と、嘘も100回言えば式に、FOXニュースを中心に大量に流されていた時期が米国にあったが、これは、明らかにそのスパイスである。
  締結内容が国民に対して4年間秘密に付されるという、言語道断な条約TPPも、この立派な一例ではないだろうか。戦勝国であり、覇権国でもある米国のグローバルエリート(エリートの本来のいい意味からすると、似非エリート)と、その他のものという、人種民族というよりも、資本による有権、無権主義が、国民主権、民主主義の上に君臨しつつある。さらに、無権者=TPP条項を知る権利から排除されている者が、市場価値、つまり有権者からすると、利用価値によって、ランク付けされ、「物象化」される。日本人1億2千万の中で、このTPP条項にアクセスできる権利を持つ真の「有権者」とみなせる人を、交渉官の官僚100人、限定された政治家と企業幹部など150人と、おおよそ見積もると、その比は、1%対99%どころではなく、0.0002%対99.9998%の世界である。さらに、韓国の例をみれば、交渉官でさえ、英語の文面が本当に理解できているのか、わからないような協定である。
 こういうことが予想されたから、私はデモにでて叫んだ。位階剥奪されるであろう1億人全員が街頭にでて、一回は叫ぶ義務があると思いながら、叫んでいた。各自、一回だけでいい、それで歴史が変わるのだ。安いものではないか。



過去記事リンク
Capitalist loved Nazism
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20130619

靖国を乗り越え、日本が前に進むための一つの構想

 本日は、麻生副総理が、「ワイマール憲法を誰にも気づかれないうちに変えていったナチスから、手口を学べる」と都内講演でのべたことが、マスコミをにぎわせていた。この発言ももちろん問題だが、それとともに、靖国参拝について「国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい」と、安倍内閣の閣僚が最近、申し合わせたように言う論理を話していた。こういわれると、どうしても思考停止してしまう瞬間があるが、しかし、ここで停止していては、前に進めないと思い考えをすすめていった。
 「国のために命を投げ出してくれた人」というのは、裏面からみると、東京招魂社から発展した靖国神社という軍事的目的を明確に持った宗教的装置に、多くの国民が目論見通り巻き込まれて、硬直的な軍隊組織の下に無数の命が「天皇万歳」と言って投げ出されたということでもある。靖国神社自体が、「国の『ために』命を投げ出す人」(ここまでが政治家がもっともらしく語る国民向けの物語)を作る『ために』つくられた神社(ここまでが兵士をうまく操るための政治家の方法論)であるという事実があり、これをどの程度自覚できるかどうか。



打てば響く 5月4日 
http://www5.ocn.ne.jp/~nadashig/page008.html#20130504
6月に亡くなられた、なだいなだ氏のブログより。大村益次郎と東京招魂社の設立経緯について述べられている。

P.S. 2015.2.28. ブログ全体が削除されているので、引用しておいた本ブログ過去記事を参考にしてほしい。
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20130609



 もし、こういった自覚があるならば、「靖国の理念、つまり、神国日本の天皇と、国民は忠孝一本で連なり、この皇国を守るために殉死するなら、靖国に祭られ、天皇が拝みに来てくれる、こういう理念は現代の人権や自由といった基本的理念から考えるとあまりに無謀なことであった。日本は、靖国国家神道を作ってひどく無謀なことをしてしまった。」こういう、反省に向かうと思う。そして、こういう反省がないと、日本の歴史は進歩しない。実際、また、元の木阿弥に戻りそうになっている。それも、現在は、天皇という神性はもう象徴としてしかなく、それに替わって米国が暴力と資本によって黒光りしているような、異様な後戻りである。
 では、靖国を超えて、何のために国家としてまとまり、そして戦うのか。ナチズムの反省を受けて成立したドイツ基本法の第一条は、憲法秩序の最高善として人間の尊厳を尊重するとして、次のように掲げられている。


「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ保護することは、すべての国家権力の義務である」


  さらに、Wikipediaをみてみると、あらかじめ、麻生のようなナチズムをまねたがる政治家が出現して憲法を改正しないような仕組みが書き込まれている。このあたりの事を「戦う民主主義」というらしい。
  私の秘かな持論としては、このような天賦の人権の尊厳を高らかに認め、これを守ることを一つの大きな基本に置く憲法を制定するとともに、そのために戦う軍隊を、民衆の手に取り戻すことである。それによって、軍隊内の組織の風通しを良くするとともに、軍事目的を逸脱させないような監視を、国民が責任をもってやれるようにする。つまりは新、徴兵制である。しかし、これは「軍事国家」復古を口にするような石原慎太郎のいうような徴兵とは全く別の意味である。強制力をもった徴兵という言葉によって組織される軍隊というよりも、日本国民の各人の天賦の人権を守るための自警団というような、国民が自発的にコミットメントしやすいような自衛的軍事組織である。消防団的な性格といってもいい。スイスで現に国民に支持されている徴兵制のようなものだ。明治的ではない、靖国がなくても、天皇が拝みに来なくても成立するような、民衆による民衆のための自衛的な軍隊の在り方、組織の在り方、国の守り方、そして、それによって守られる尊厳を、国際秩序につなげるあり方、そんなものがないのだろうか。それが構想できるようになると、初めて、「靖国でひどいことをして、本当に申し訳なかった」と政治家は言えるようになる。この言明は、まさしく、日本国民に人権を認めることと表裏一体である。麻生が民主主義を否定するようなナチス憲法改正手続きをほめたたえるのは、彼が、靖国に縛り付けられていることと表裏一体である。
 こういった反省と構想によって、麻生とか、安倍を過去の国家神道の亡霊と認識し、そして、英霊を本当の意味で供養し、さらに、靖国と敗戦を乗り越える国家のレジームを本当の意味で構想できる。私は、天賦人権に加え、核に依存しない軍事、外交、エネルギー政策をもう一本の新しい日本の柱にすればいいと思う。そんな構想をしてみると、「日本で生きよう」と意欲がでるし、敗戦を乗り越えてさえ、なお、日本人でよかったと尊厳もでてくる。理想的な形ではあれ、こういった一つのあるべき国の構想を考えることで、現在にうずく過去の亡霊を相対化できる。そして、もし、そんなこともできないと、その亡霊が形を変えて米国の衣を借りて新型化し、跋扈しはじめるだろう。そして人権を失った日本人が、またそれに巻き込まれる破目になるだろう。



参考リンク

1.Wikipedia 戦う民主主義  

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E3%81%86%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9

ドイツ[編集]

「ナチ党の権力掌握」および「ドイツ連邦共和国基本法」も参照

ドイツ連邦共和国は「戦う民主主義」を標榜している国の代表的な例とされる。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)は、1933年2月29日の民族と国家の保護のための大統領令(ドイツ語版)によってヴァイマル憲法基本的人権保護規定を無効化し、各種工作の結果、憲法の上位に立つ全権委任法を制定することによって、事実上憲法体制を崩壊させた[1]。この課程は憲法にある大統領の非常権を利用したものであり[2]、戦後問題になった。敗戦後の1948年、西側連合国占領地域において設立されたドイツ連邦共和国(西ドイツ)では、こうした事態を防ぐために「戦う民主主義」の概念が生まれた。この概念を生み出したのはアメリカの憲法学者で、基本法制定に参加したカール・レーヴェンシュタイン(英語版)である[3]。ただしドイツ連邦共和国基本法自体には「戦う民主主義」の概念は明文化されていないが[3]、1956年の連邦憲法裁判所判決[4]が示すとおり、基本法制定者の思考の基盤となっている[3]。
憲法秩序に反する団体は禁止される(基本法9条2項)[3]。
憲法に定められた権利を、自由で民主的な体制を破壊するための闘争に濫用する者は、基本権を喪失する(基本法18条)[3]。
政党の内部秩序は民主制の諸原則に合致していなくてはならない(基本法21条1項)[5]。自由主義や民主主義を否定し、連邦共和国の破壊を目指す政党は違憲となる。違憲政党の決定は連邦憲法裁判所で行なわれ、各団体は連邦憲法擁護庁に監視される(基本法21条2項)[3]。違憲政党の代替組織も禁止される(基本法33条)[6]。
基本法21条の政党規定は連邦法の政党法 (ドイツ)(ドイツ語版)によって定められる。
基本法を緊急の法律によって改正、廃止、適用禁止を行うことはできない(基本法81条4項)[7]。
政治家を含めて、全国民に民主主義体制を明記した憲法への擁護義務を課す(憲法への忠誠)
自己否定(人間の尊厳や人権の保障・民主主義などの根幹原則を破壊)するような方向への改憲を認めない
政府が憲法と国民に背いた場合には国民は抵抗権を発動出来る

ドイツ連邦共和国基本法第5条3項から第18条・第21条までの「基本権」の項目には、「戦う民主主義」の提要である「国民の憲法擁護義務」が規定され[8]、ナチ党またはアドルフ・ヒトラー個人、若しくはその行為を礼賛し差別を煽るあらゆる主張・行為は処罰される(刑法第130条:民衆扇動罪。対象例としてホロコースト否認論)。

これにより、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ社会主義帝国党等は違憲とされ、禁止された。ナチスの標章であるハーケンクロイツは、連邦刑法86条にて、反ナチ表現を除くあらゆる使用が禁止されている。従って、出版等においてもハーケンクロイツの使用が認められず、ネオナチがハーケンクロイツを掲げて行進するようなことも禁止されている。


2.過去記事 
2013-03-27 リヒャルト・シュトラウスの「Metamorphosen」
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20130327
ドイツは、戦後、このシュトラウスが奏でた悲哀を経て、見事にMetamorphosenした。

福島第一原発勤務歴を持つ小野医師への岩上インタビューから

 先日6月3日に、岩上安身が、また注目すべきインタビューを行ってくれた。


「普通の子どもを産みたいと願ったら差別なのか」 熊本の医師・オノデキタ氏、指摘 〜小野俊一(onodekita)氏インタビュー http://iwj.co.jp/wj/member/archives/12471


 私は、3.11の原発事故後、特に放射性セシウムによる内部被曝の問題をネットで調べている中で、小野先生の「院長の独り言」ブログをみつけた。問題の福島第一原発に勤務していた血液内科を専門とする医師というドンピシャリの経歴と、開業医の片手間でやっているとは思えないような、詳しい調査にもとずいた記事の数々に驚きながら、参考にさせてもらっていた。ツイッターに手をだしはじめ、彼のアカウントもフォローしはじめたが、いつ本業の仕事をしているのかと思わせるほどの、おびただしいほどの発言に舌を巻きながらも、ブログのみからは想像できなかったその奔放な発言ぶりを、楽しませてもらっていた。ただ、健康障害や植物の奇形について、そこまで放射性物質に関連づけてしまっていいものかと、私でもいぶかるようなことも無きにしも非ずであった。
 今回、岩上安身が北九州に仕事で来た機会をとらえて、賛否両論の激しい小野先生へのインタビューを敢行してくれた。実際に顔をみて、話しぶりをみて、あるいは、インタビュアーへの返答の仕方をみることによって、それもIWJならではのノーカットでみることによって、小野先生の実体が伝わってきたと思う。これは、小沢一郎氏への岩上インタビューがなした役割でもあった。しかし、今回は、岩上さんの準備が、やや不足だったかなと思わせるところも、やはりあった。突撃的なインタビューだったころもあるのだろうが、それよりも、その背景にあるかもしれない、岩上さんの入市内部被曝症状をおもわせるような状態が、心配になる所があった。福島第一原発に行き取材した後からあるような、インタビュー中に息が切れるといった、場合によっては心機能、呼吸機能の低下、ブラブラ的な疲れやすさを思わせるような症状があると、ちらっと話をしていた。
 インタビュアー自身の身に、小野先生の目前で現れている健康問題の特徴からも、福島事故は、現在進行形であることを痛感する。岩上氏のように、もともと体力に自信のあるであろう者の方が、セシウムなどの、ばらまかれた長寿命放射性物質に対して無防備になり、内部被曝を加速してしまっているかもしれない。彼は、東北にどんどん取材に行くとともに、食事も気を付けていないということだった。いずれにせよ、わが身の変調が起きてから、その問題がつきつけられるのだろう。そこから、認識が変わらざるを得なくなる。それが、行動に結び付けられるかは、さらにハードルが高くなる。家族、経済、ともに生きる人との将来など当人の認識だけではない、社会的な問題が入ってくる。さらに、朝日新聞、読売新聞、NHKなどのマスコミ情報が、日本社会の共通認識、「空気」を産出しつづけ、せっかく生じ始めた個人の認識に、社会的抑圧をかけてくる。
 そういった悩ましい問題に対して、小野先生は、基本は、自分の実感や、植物や昆虫の変調など、それを元に判断しろ、ベクレルは糞くらえだというが、もっともリアルなのだろうと思う。それは、臨床家ならではの判断基準であろう。データにいくら問題がなくても、目の前の患者の状態に変化を察知したら、そちらを指針にして思考を動かなければ、新たな検査を考えなければ、医者はつとまらない。数々の手ごわい病を相手に勝負し勝ちにもってゆくためには、見出せる病を見逃し、手遅れになってしまう前に、先手を打って動く必要があるからだ。素人でもわかるようになって、病をみいだしていたのでは専門家としては失格であり、治療的にも失敗に終わってしまう。こういった、臨床医の現場感覚が、小野先生には残っているのだろう。また、それが、彼の歯に衣を着せぬ厳しい言動につながっているのではないか。それは、糖尿病の患者に手厳しく食事や運動指導をする、放っておいたら目が見えなくなるなどと脅す誠実な内科医の、耳に痛い忠言につながるものであろう。「福島には人は住めない」「ピカの毒はうつる」というのも、相手や人々を差別するのではなく、相手を長寿命放射性物質の毒性から守るということが、本意であろう。
 逆にいうと、ほとんどの医師は、生態系全体にわたる放射性物質の毒性についての臨床的感覚が、存在していない。その危険性が察知できない。甲状腺がん、免疫不全、慢性下痢、風邪が治らない、心機能の低下、疲れやすさなどの症状について、よくわからず、対症療法しかできず、ただ、なすがままの状態にあるのだろう。いわんや、それを、セミが鳴かずひっそりしした夏になった、ツバメがめっきり減った、植物の形がおかしいなどの自然徴候の変化と結び合わせることもできない。そういう中で、それが当たり前で、「甲状腺疾患は、隠れた国民病」「風疹流行で予防接種を」というような、真因を隠蔽した小手先の解釈、対応が、大新聞、テレビが先導となって、なされてゆく。これは、糖尿病の本態の一つに、運動習慣や食習慣の問題があるということを見逃し、「食べたいもの食べてもいいですよ」「運動なんて、関係ないですよ」と患者を甘やかした上で、血糖が上がればインシュリンを打ち、網膜がやられれば仕方ありませんね病気ですからと説明する。そんな、患者に優しいが無責任で無能な医師に例えられる。
 小野医師は、放射性物質にかなり敏感な者からみても土壌汚染もほとんどなく安全であろうと判断できるような熊本においても、植物奇形が多発しており、ここが安全だと言い切れる状態ではないと話す。土壌汚染や食品汚染のベクレル数とは独立した、そういう自然への観察眼や、どこかおかしいという身体感覚によってしかわからないような、自然や身体の変化に対して無視をきめこむことなく、注意を払うこと、少なくとも想定外にして抑圧してはしてはいけないだろうこと、あいまいなまま甘受することの危険性について、私も共感させてもらった。実際、福島と比較すると「庭の散歩」程度のスリーマイル事故の場合でも、かなり長期にわたり、はっきりとした植物の奇形が周辺にみつかっていたということもある。内部被曝については、自分が、自分の臨床医にならないといけなくなる。国は、あるいはWHOまでもが、「核の傘がないと生きてゆけない」と、わがまま、煩悩を捨てず、国民の健康を守ろうとしない。



ここで、2つ引用
 「顕微鏡下の正確な観察を科学的と称するなら、ベットサイドでの正確な患者観察が科学的でないわけはない。ウサギやモルモットの詳細な観察の記載を科学的と称するなら、患者に関する詳細な観察の記載は、やはり科学的である。臨床医学は、単に化学的、物理的な方法を用いるということだけでなく、観察、検索、解釈、解明のための決然たる、恐れを知らぬ、そして骨身を惜しまぬ努力を必要とする。その意味からしても、臨床医学は科学である。」  Abraham Flexner


「知識が十分でないということよりも、患者をよく診ないことが医師の欠点となる。」 Sir Dominic J. Corrigan




 最後に、岩上安身が、なんとか、小野先生から、原発事故の収束方法について妙案を聞き出そうとするが、「4号機は、一番危険だが、燃料を取り出せばいいからやり方はわかっている。金をかければできる。でも、1〜3号機については、わからない、本場のアメリカでもわかる人はいないのではないか。いれば来てやっているだろうから。」ということになる。今の所、福島第一原発の、「治療」については、世界中で、どこのだれも、根本的な対策を、考え講じることができないのである。今年の3月頃も、東京の放射性セシウムの降下量がかなり上昇するという話題があったが、今後、年余にわたり、このような状態が東北関東、さらに、時間とともに拡散し、西日本、九州、アジア、アメリカ、ヨーロッパと、長寿命放射性物質が30年以上の半減期をかけて、めぐり続けるであろう。つまり、確実には、日本は、「福島第一原発事故」という、不治の病を2011年3月11年に発症した。これは、日本の国土、生態系、そして日本人が、濃淡はあれ、あまねく関与してしまっている。さらに、世界は、地球は、同じ「福島第一原発事故」という、不治の病を、2011年3月11日に発症した。この、病識をしっかりと持つこと、これが日本人にとって、あるいは人類にとっても、第一ではなかろうか。医師と患者が、あるいは、政治家と国民が、不治の病をなかったものとして共犯関係で直面化を避け、甘い日常をずるずると続けて事態をこじらせ、塗炭の苦しみの運命の中に行軍してゆくことがないように。



最後に、もう一つ引用  
「患者は、非常に恐ろしい症状の場合それを言いたがらず、場合によっては忘れようとさえすることがある。実際、患者は自分が重症であるということを示すような情報には、直面したがらない。」
「このような行動を起こす背景には、大きな変化によって自分の人生の平衡が崩れないように、影響力の大きい事柄を、意識下に抑制する機序が働いているかのように思える。」
「医師は、同様の人間的側面が、医師の診断過程にまで、影響を及ぼさないように用心すべきである。もし、事実だとしても、信用したくないような診断名や重篤な症状を患者が訴えることがある。」
「ふつう、医師は、恐ろしい症状に対応したり、気味の悪いことを心に留めたりしないと思われている。それは、そうした所見の意味するところに直面し、それについて患者と話し合うことを無意識のうちに敬遠するからである」 R.D.Judge