靖国を乗り越え、日本が前に進むための一つの構想

 本日は、麻生副総理が、「ワイマール憲法を誰にも気づかれないうちに変えていったナチスから、手口を学べる」と都内講演でのべたことが、マスコミをにぎわせていた。この発言ももちろん問題だが、それとともに、靖国参拝について「国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい」と、安倍内閣の閣僚が最近、申し合わせたように言う論理を話していた。こういわれると、どうしても思考停止してしまう瞬間があるが、しかし、ここで停止していては、前に進めないと思い考えをすすめていった。
 「国のために命を投げ出してくれた人」というのは、裏面からみると、東京招魂社から発展した靖国神社という軍事的目的を明確に持った宗教的装置に、多くの国民が目論見通り巻き込まれて、硬直的な軍隊組織の下に無数の命が「天皇万歳」と言って投げ出されたということでもある。靖国神社自体が、「国の『ために』命を投げ出す人」(ここまでが政治家がもっともらしく語る国民向けの物語)を作る『ために』つくられた神社(ここまでが兵士をうまく操るための政治家の方法論)であるという事実があり、これをどの程度自覚できるかどうか。



打てば響く 5月4日 
http://www5.ocn.ne.jp/~nadashig/page008.html#20130504
6月に亡くなられた、なだいなだ氏のブログより。大村益次郎と東京招魂社の設立経緯について述べられている。

P.S. 2015.2.28. ブログ全体が削除されているので、引用しておいた本ブログ過去記事を参考にしてほしい。
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20130609



 もし、こういった自覚があるならば、「靖国の理念、つまり、神国日本の天皇と、国民は忠孝一本で連なり、この皇国を守るために殉死するなら、靖国に祭られ、天皇が拝みに来てくれる、こういう理念は現代の人権や自由といった基本的理念から考えるとあまりに無謀なことであった。日本は、靖国国家神道を作ってひどく無謀なことをしてしまった。」こういう、反省に向かうと思う。そして、こういう反省がないと、日本の歴史は進歩しない。実際、また、元の木阿弥に戻りそうになっている。それも、現在は、天皇という神性はもう象徴としてしかなく、それに替わって米国が暴力と資本によって黒光りしているような、異様な後戻りである。
 では、靖国を超えて、何のために国家としてまとまり、そして戦うのか。ナチズムの反省を受けて成立したドイツ基本法の第一条は、憲法秩序の最高善として人間の尊厳を尊重するとして、次のように掲げられている。


「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ保護することは、すべての国家権力の義務である」


  さらに、Wikipediaをみてみると、あらかじめ、麻生のようなナチズムをまねたがる政治家が出現して憲法を改正しないような仕組みが書き込まれている。このあたりの事を「戦う民主主義」というらしい。
  私の秘かな持論としては、このような天賦の人権の尊厳を高らかに認め、これを守ることを一つの大きな基本に置く憲法を制定するとともに、そのために戦う軍隊を、民衆の手に取り戻すことである。それによって、軍隊内の組織の風通しを良くするとともに、軍事目的を逸脱させないような監視を、国民が責任をもってやれるようにする。つまりは新、徴兵制である。しかし、これは「軍事国家」復古を口にするような石原慎太郎のいうような徴兵とは全く別の意味である。強制力をもった徴兵という言葉によって組織される軍隊というよりも、日本国民の各人の天賦の人権を守るための自警団というような、国民が自発的にコミットメントしやすいような自衛的軍事組織である。消防団的な性格といってもいい。スイスで現に国民に支持されている徴兵制のようなものだ。明治的ではない、靖国がなくても、天皇が拝みに来なくても成立するような、民衆による民衆のための自衛的な軍隊の在り方、組織の在り方、国の守り方、そして、それによって守られる尊厳を、国際秩序につなげるあり方、そんなものがないのだろうか。それが構想できるようになると、初めて、「靖国でひどいことをして、本当に申し訳なかった」と政治家は言えるようになる。この言明は、まさしく、日本国民に人権を認めることと表裏一体である。麻生が民主主義を否定するようなナチス憲法改正手続きをほめたたえるのは、彼が、靖国に縛り付けられていることと表裏一体である。
 こういった反省と構想によって、麻生とか、安倍を過去の国家神道の亡霊と認識し、そして、英霊を本当の意味で供養し、さらに、靖国と敗戦を乗り越える国家のレジームを本当の意味で構想できる。私は、天賦人権に加え、核に依存しない軍事、外交、エネルギー政策をもう一本の新しい日本の柱にすればいいと思う。そんな構想をしてみると、「日本で生きよう」と意欲がでるし、敗戦を乗り越えてさえ、なお、日本人でよかったと尊厳もでてくる。理想的な形ではあれ、こういった一つのあるべき国の構想を考えることで、現在にうずく過去の亡霊を相対化できる。そして、もし、そんなこともできないと、その亡霊が形を変えて米国の衣を借りて新型化し、跋扈しはじめるだろう。そして人権を失った日本人が、またそれに巻き込まれる破目になるだろう。



参考リンク

1.Wikipedia 戦う民主主義  

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E3%81%86%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9

ドイツ[編集]

「ナチ党の権力掌握」および「ドイツ連邦共和国基本法」も参照

ドイツ連邦共和国は「戦う民主主義」を標榜している国の代表的な例とされる。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)は、1933年2月29日の民族と国家の保護のための大統領令(ドイツ語版)によってヴァイマル憲法基本的人権保護規定を無効化し、各種工作の結果、憲法の上位に立つ全権委任法を制定することによって、事実上憲法体制を崩壊させた[1]。この課程は憲法にある大統領の非常権を利用したものであり[2]、戦後問題になった。敗戦後の1948年、西側連合国占領地域において設立されたドイツ連邦共和国(西ドイツ)では、こうした事態を防ぐために「戦う民主主義」の概念が生まれた。この概念を生み出したのはアメリカの憲法学者で、基本法制定に参加したカール・レーヴェンシュタイン(英語版)である[3]。ただしドイツ連邦共和国基本法自体には「戦う民主主義」の概念は明文化されていないが[3]、1956年の連邦憲法裁判所判決[4]が示すとおり、基本法制定者の思考の基盤となっている[3]。
憲法秩序に反する団体は禁止される(基本法9条2項)[3]。
憲法に定められた権利を、自由で民主的な体制を破壊するための闘争に濫用する者は、基本権を喪失する(基本法18条)[3]。
政党の内部秩序は民主制の諸原則に合致していなくてはならない(基本法21条1項)[5]。自由主義や民主主義を否定し、連邦共和国の破壊を目指す政党は違憲となる。違憲政党の決定は連邦憲法裁判所で行なわれ、各団体は連邦憲法擁護庁に監視される(基本法21条2項)[3]。違憲政党の代替組織も禁止される(基本法33条)[6]。
基本法21条の政党規定は連邦法の政党法 (ドイツ)(ドイツ語版)によって定められる。
基本法を緊急の法律によって改正、廃止、適用禁止を行うことはできない(基本法81条4項)[7]。
政治家を含めて、全国民に民主主義体制を明記した憲法への擁護義務を課す(憲法への忠誠)
自己否定(人間の尊厳や人権の保障・民主主義などの根幹原則を破壊)するような方向への改憲を認めない
政府が憲法と国民に背いた場合には国民は抵抗権を発動出来る

ドイツ連邦共和国基本法第5条3項から第18条・第21条までの「基本権」の項目には、「戦う民主主義」の提要である「国民の憲法擁護義務」が規定され[8]、ナチ党またはアドルフ・ヒトラー個人、若しくはその行為を礼賛し差別を煽るあらゆる主張・行為は処罰される(刑法第130条:民衆扇動罪。対象例としてホロコースト否認論)。

これにより、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ社会主義帝国党等は違憲とされ、禁止された。ナチスの標章であるハーケンクロイツは、連邦刑法86条にて、反ナチ表現を除くあらゆる使用が禁止されている。従って、出版等においてもハーケンクロイツの使用が認められず、ネオナチがハーケンクロイツを掲げて行進するようなことも禁止されている。


2.過去記事 
2013-03-27 リヒャルト・シュトラウスの「Metamorphosen」
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20130327
ドイツは、戦後、このシュトラウスが奏でた悲哀を経て、見事にMetamorphosenした。