日本会議・安倍政権は、母権制権力ではないか

 以前より、安倍晋三の権力は、基本的に母権制(エーリッヒ ノイマンによる概念で)が本質ではないかとおもっていたが、特に森友学園問題以降、そういう傾向が表にでてきていると感じ、昨日は思い付きのツイートを連投した。立憲主義という社会と法の根幹を、議会をカマクラにして正面から棄却してしまった無法さの勢いは止まらなくなり、それを援護射撃する手下のような、田崎氏、山口氏、佐川氏、読売新聞などのさもしさ、嫌らしさも、際立ってきた。このたびの都知事選は、それをどう国民、特に、首都都民が選挙権を行使してジャッジするのかという意味でも注目されると思う。
 



【6月30日ツイートより】

安倍の権力は、イシュタルだし、メデューサなんだよな。深層心理学的には、基本的に母権制

二見伸明‏ @futaminobuaki
https://twitter.com/futaminobuaki/status/877504036726915073
「萩生田発言はかつての自民党と異なる安倍政権の異常な体質を国民の前にさらけ出してしまった。安部は小心翼々とした嘘つきなことも明らかになった。国民も分かっただろう。しかし大半の自民党議員はオロオロする文科相のように安部の虚像に金縛りになっている。受け皿になるニュー野党共闘を構築せよ」


母権制権力の場合、時間的に通時的に、彼ら彼女らのやってきたことを、鏡に映すようにして、光にさらしてやることが、一番の対処法になる。例えば、稲田大臣の当選当初の写真を本人や国民に見せるとかだ。TPP断固反対の安倍演説でもいい。あるいは、森友他の問題について情報公開の徹底。


みる者を石に変えるというメデューサを倒したのは、ペルセウスであったが、彼は、盾に鏡をつけて、メデューサ自身の顔形相を、彼女自身にみせつけることをした。今、加計問題他でメディアがやっているのは、こういう神話的布置がある。ギルガメシュ神話も、同じ文脈でもある。籠池や前川がやりとおした


ギルガメッシュもそうだったが、リフレクションをやると、母権制権力の手下の者どもから、攻撃をうける破目になる。官邸リークの読売記事などそういうものであった。しかし、本当の英雄であれば、それも跳ね返すことができる。母権制の奴らのように、影で違法行為をする心性はないからである。


ギリシャペルシャ神話では、母権制から父権制の移行が、こういう形でなされているが、日本神話のヤマトタケルは、その点未熟であろうと思う。「法」の樹立がなされていない。日本会議の英雄、安倍をみれば、わかるだろう。


ヤマトタケルは、太刀を持ったが、賊を打つという父の命令に従う残酷さがあっただけで、法・社会の意識などなかった。太刀を持ったヤマトタケルが、鏡も持ちうるのかどうか。歴史認識を正当にした上での、「侵略はしない」明言で再軍備ということで、9条改憲小林節案がそれに相当するかもしれない。これが、二見のいう「ニュー野党共闘」になっていけば、そして、自民党勢力もこれに加わっていけば、また、日本の歴史も、より、創造的な方向にかわるだろう。「父権制」の要素が、国民自身の力によって、歴史的にひらかれていくかどうか。


しかし、情報公開、報道がなされても、国民が、「強い方がいい」「綺麗な方がいい」「儲かる方がいい」「陰でどんなことやっていてもそっちの人がいい」というのなら、このゲーテの格言を捨て台詞にするしかない。

ゲーテ名言集‏ @Goethe_ja
https://twitter.com/Goethe_ja/status/329008379899047936
三千年の歴史から学ぶことを知らぬ者は、知ることもなく、やみのなかにいよ、その日その日を生きるとも。



【参考 過去記事】
ノイマン『意識の起源史』からみた現代
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20140404

ノイマン『意識の起源史』からみた現代 2
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20140409

ギルガメシュの三行半
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20140410