2015 東京国際ギターコンクール本選

 11月末から12月10日にかけては、浜松国際ピアノコンクールをはじめにして、音楽を生で鑑賞する機会が、なぜか目白押しの日程となった。そういう日々を過ごすのもいいものだが、この6日の東京国際ギターコンクール本選は、午後1時から6時ぐらいまでかけて、延々と、若手奏者の本格的なクラシックギターの熱気あふれる6人の演奏を聴き続ける体験となった。一人の演奏時間は40分で、ピアノコンクールの2次予選程度の時間だが、これだけの時間をギターで集中して表現するのは、かなり大変なものである。同じ時間、ピアノでパフォーマンスするよりも確実に難易度は高いように思う。個人的に向き合っている楽器はクラシックギターなので、ピアノコンクールよりも本来の縁はあるはずだが、これまで、わざわざ無名の若手ギタリストの演奏をききに足を延ばしてまで聴きに行くということはしていなかった。勧められた機会に、一回は行ってみるべきかと思って、今回、聴きに行った。
 
 1人目の演奏をききながら、浜松国際ピアノコンクールの迫真の演奏にくらべると、ひきこまれるものもなく、天下の東京国際ギターコンクールといっても、こんなもんなのかな〜と思っていたが、2人目の奏者、東京音楽大学在学の山田唯雄君の演奏を聴くに至って、目が覚める思いとなった。浜コンで本物の演奏を聴いたときに感じたような、その場を音楽が支配していくような感覚が、楽器は格段に小さい、体で抱えるようなギターであっても、同じぐらいの密度で再現されていくのだ。ジュリアーニの大ソナタ『英雄』という曲をやってくれたが、これは、モーツァルトぐらいの古典的なソナタのノリを、ギターで、非常にきれいに表現したものであった。ギター弾きならわかると思うが、バロックではなく、ああいう古典的な音楽をギターで表現するのは、並大抵の力量ではできないことである。それを、比較的長い時間にわたって、安定した技巧で表現してくれていた。もう一曲、ギター現代曲の中でも、既に古典的な価値と風格をもつブリテンの『ノクターナル』をやっていたが、私の中のこの曲のエドワルド・フェルナンデスの名演奏のイメージからすると、どこか、深みとあたたかさが足りないような物足りなさを感じさせるところはあったが、息をのむ、殺気立つほどの迫真の演奏であったことは変わりない。彼が上位にくるのは確実だろうと思わせたが、最終的には4位となってしまった。


 3人目の小暮氏は、日本にカルレバーロ奏法を本格的に導入してくれている高田元太郎の弟子筋で、毎年のように挑戦して、4位か3位で終わっている奏者である。今回は3位となっていたが、私の中では、こじんまりまとまりすぎていて、山田君にくらべると、表面的な演奏だったと思ってしまった。明るさと健康さは、おそらく青白くて痩せ細った山田君の比ではないが、殺気だつような音楽づくりというのはなかなか感じさせなかった。4人目のアメリカのオコーナー氏は、バッハの平均律24番のプレリュード、ワーグナーローエングリン第2幕よりの2重奏アリアといった、編曲ものをやってくれた。私の最も好むポジションの曲なので、楽しみながら聴かせてもらったが、ギター曲としてやるには、ちょっと無理があったかなとおもわせる内容でもあった。バッハ、シャコンヌのようなクラシック音楽からの編曲も、ギター固有の可能性をだせるところだが、単純で素直な歌うような音楽性というものを見失う編曲だと、どうしても無理が出てしまう。

 それに比べ、5人目のフランス、ランセル氏の引いたレゴンティ編 ベッリーニの歌劇『カプレーティとモンテッキ』によるアリアと変奏 は、最後の部分で、ギターならではの分散和音の上にメロディーをのせた編曲となっており、非常にききがいがあった。丁度、リストのピアノ曲『ため息』のノリを、ギターで表現したものである。あそこまでのスケールの大きな分散和音を土台に、メロディーを弾き続けるというのは、これもギター弾きにはわかると思うが、大変な難行であると思うのだが、それを、見事な曲として仕上げてくれていた。これも、聴きに来てよかったと思わせる体験であった。

 最後6人目が、今回、優勝したアメリカのザビエル氏。どうも、他のブログ記事をみると、革新的な構造をしたギター(ダブルトップ、ラティス)使用していたようだが、とにかく、ギターの音がきれいに、はっきりくっきりと、客席にまで伝わってくるような演奏であった。技巧的には極めて安定しており、音の固さ、柔らかさ、強弱、スリリングで、エロチックさを感じさせるほどの沈黙の中のグリッサンドなど、完璧なまでに的確なやりかたで、ギターに表現させていたようにみえた。最初のダウランドの曲は、バロック期の曲をきいたとは思えないような、そんな世界をつくっていた。また、ギターでは、バッハと並んで、バロック期の編曲ものの定番となった、スカルラッティソナタも、チェンバロのよさをうまく、ギターのよさの中に表現してくれていた。奏法として特徴的だなと思ったことは、彼は、垂直に近いぐらいまで、ギターを立てて弾くスタイルをとっていた。あそこまで行けば、「竪琴」をつま弾いているといってもいいような、そういうイメージを受けたものであった。ザビエル氏の演奏がはじまって少ししたところで、彼がトップで間違いなかろうと思ったが、果たして、結果はその通りであった。

 最後の講評で、本選審査員で、西洋哲学を背景にした音楽評論家、梅津時比古 氏は、演奏レベルの驚くような高さとともに、「今日きいた音楽は、ギターを使いながらも、これまでにあるギター音楽を超えたような、何か別の音楽を作り出してくれているようであった」と評していたが、そんな、現在のクラシックギター音楽の最先端の到達点をみせてもらったような、コンクールであったと思う。ちなみに、個人的なランキングでは、1位 ザビエル 、2位 山田唯雄、3位 ランセル、オコーナー、小暮、4位 ジョバンニ。


【参考動画】
本選参加者の演奏動画も、かなりYoutubeにアップされている。ピアノコンクールの動画でもそうだが、しかし、その場を共有した生演奏を聴く体験と、録画動画を視聴する体験は、まったくと言っていい程、異なるものだ。音楽というのは、生で聴くものだとつくづく思う。

Mauro Giuliani: Gran Sonata Eroica, Op.150 - Tariq Harb, Guitar
https://www.youtube.com/watch?v=ncuBEwwM4Io


Damien Lancelle - Regondi, Bellini Variations
https://www.youtube.com/watch?v=jdZptPFsj3I


Xavier Jara Dowland: 2 Fantasies (P5 and P71)
https://www.youtube.com/watch?v=DKJoV1xk5dI