ギルガメシュの三行半

 ノイマン、意識の起源史からの引用だが、これで最後にしようと思う。この引用部分は、少年神がからめとられていた太母(イシュタル)のクモの網を、英雄的精神(ギルガメシュ)が、太母の行状についての過去から未来に渡る言語的叙述によって光をあてることで切りひらき、自らのそこからの独立を謳い上げる場面であるとみることができる。ここでは、英雄が、太母の歴史性なき無法性を告発することで、そこに、ある種の「法」の箍がはめられることになる。それが、英雄ギルガメシュの手にした「非個人的な」刀であり、母権制から父権制に移行する際のドラマであろうと思う。
 この太母の八つ裂きにして食い尽くす性質が、言語的に表現され、告発され、光をあてられることで、太母的存在が撤退するというのは、人類的意識にとっての一つの特徴であるのかもしれない。なにが、「不当な」感覚をもたらすのか、なにが「正当な」感覚をもたらすのか、言語的平面に行動を写し取り、告発することで、それが相手への刀になる。これは英雄の意識の「鏡」「reflection」的な働きでもある。実に、太母メデューサの退治の際にも、ペルセウスが盾をあらかじめ磨いて鏡のようにして、メデューサ自身に自分の姿を見せ、石化させたという神話がある。wikiをみると盾を鏡にしてペルセウスメデューサを見て難を逃れたとある別系統の神話もあるようだが、自身に姿をreflectさせたとする方が、より本質的であろうと感じる。単に、力の勝る男性が、女性を倒したのではなく、なんらかの醜さ、不当さが、意識化されることで、退治されてゆくわけである。これは、「抑圧」ではなく、進化なのだろう。
 また、ドラキュラのように隠れているTPPを撃退するためにも、とにかく、情報を公開させて光を当てることが重要であるとロリ・ワラックは言っていたが、そいういう元型間の抗争において働く「仕組み」が人類的意識にはあるのではないだろうか。ある意味、本物の影に光を当てようとする果敢なジャーナリストは、ギルガメシュの末裔であるともいえる。
 このギルガメシュ叙事詩の部分は、そいういう形で、イシュタルに、他のものを「代入」することで、太母的罠に対抗するための「解放の手引き」になると思う。



以下引用

「少年神は太母にとって幸福、光輝および豊饒を意味するが、彼女の方は少年神に対して、つねに不実であり、不幸をもたらす。したがって「気高きイシュタルがギルガメシュの美しさに目をとめた」とき、ギルガメシュがイシュタルの誘惑に対して、早くも次のように答えているのは正当である。


女神よ、お前の冨は大事にとっておくがよい!
私はこの衣服と上着で満足だ。
私はこの料理と食物で満足だ!
それでも私は神にふさわしい食事を摂り、
それでも私は王にふさわしい酒を飲む!
お前は風や嵐を防いでくれない後扉だ、
英雄たちを傷つける宮殿だ、
自らの皮膚を引き裂く象だ、
運ぶ者を押しつぶす瀝青だ、
石垣を支えない石灰岩だ、
敵国から奪われた碧玉だ、
主人をおしつぶす靴だ!


お前が永遠に愛する夫などいようか、
お前をつなぎとめることができた恋人などいようか?
よかろう、お前の恋人たちを残らず数えてあげてやろう。


お前はお前の若い恋人タムズが
毎年嘆かれるように定めた。
お前は華やかな恋人を愛した。
ところがお前は彼を打ち、その翅を引きちぎった。
彼は今森に住んで、「私の翅よ」と鳴く。
お前は獅子を愛した、あの猛獣を、
七度、そしてもう七度、お前はその獅子に罠の穴を掘った。
お前は戦い好きの馬を愛したが、
彼に鞭と拍車と殴打を与えよと命じ、
七マイル駆けさせよよ命じ、
泥水を飲むことを命じ、
その母シリリには嘆きを与えるようにお前は命じた。


お前は羊飼いを愛した。
この羊番は、お前のためにいつも灰にまみれてパンを焼き
お前のために毎日子羊を殺した、
ところがお前は彼を殴り、狼にかえてしまい、
彼の部下の羊飼いの少年たちにこの狼を追い払わせ、
番犬をけしかけて足に咬みつかせた。


お前は父の椰子園の庭番、イシュラヌを愛した、
彼はいつも花束を運び、毎日お前の食卓を飾った。
お前は彼を見上げ、誘惑した、
「イシュラヌよ、お前の力を共に味わおう!」
・・・イシュラヌはこう返事をした、
「一体あなた様は私めに何をお望みなのですか。
 わが母が焼き上げぬものを私は食べたことがありません!」
これを聞いたお前は、彼を殴りつけ、コウモリに変えてしまった。


今、お前が私を愛しても、結局は彼らと同じ目に合わせるに違いない!


 強靭な男性的自我-意識によってこそ、解体と去勢、破壊と呪縛、殺害と惑乱という太母の性格が次第次第に見抜かれてゆくのである」
以上引用。



ちなみに、ノイマンは、女性の意識については、別に考察する必要があるとして、『女性の深層』という本も書いているので、女性の方は、むしろこっちを参考にされたい。


【参考】
イシュタル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%AB


ギルガメシュ  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5


Hatenaキーワードのギルガメシュ項に、叙事詩のあらすじが書いてあって泣ける。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AE%A5%EB%A5%AC%A5%E1%A5%B7%A5%E5
彼は、このイシュタルへの三行半のおかげで、さまざまな苦難を被ることになるが、最後に、イシュタルの追手に殺されてしまった友人エンキドゥが登場して以下のセリフを言う。


「疲れきり、失意の内にウルクに戻ったギルガメシュを、幻のエンキドゥが迎えて彼を慰めた。
『お前の作った都市はこのように繁栄し、民はお前のことを覚えて手本として生きるだろう。お前は人々の心に永遠に生きるんだ』
そう言われてギルガメシュは心から安堵し、昇天した」


 ギルガメシュ叙事詩は、紀元前3600年ぐらいの、気の遠くなるほど昔の神話だが、この神話自体は、昨日今日、そこここで、「意識」を舞台にあってもおかしくはない、そういう物語だと思う。この英雄の苦難と昇天の神話は、例えば、イエスーキリストや、法蔵菩薩阿弥陀仏の宗教的神話にも、連なってくるものではなかろうかと思う。心の中で生きる手本となるわけだ。そこから、新たな意識と社会が生まれてくる。



ノイマン『女性の深層』
Amazon
http://www.amazon.co.jp/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AE%E6%B7%B1%E5%B1%A4-%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4314002905

松岡正剛の千夜千冊    
http://1000ya.isis.ne.jp/1120.html