ユダヤ教シャブタイ派と、テロとの戦争の自己破産

 IWJで、先ほどまで板垣雄三氏のインタビューをみていて、面白いと思って、昨日の岩上実況ツイートを見直したのだが、私がひっかかっていたシャブタイ派がでてきた。テロとの戦争、自衛という名ををかりた虐殺的行動の実行にあたり、確信犯的自己破産の様相を呈してきている。不正義を鉄面皮で実行するようになことが、世界大戦を誘発するかもしれない、というようなポイントが一つあった。この倫理的負債の自己破産的な解決に導くというのが、シャブタイ派的な破戒的、破壊的な創造と救済という傾向と、つながらなくもない。
 以上は、邪推だが、金融資本家トップレベルの思想的、宗教的信条が、どのようなものになっているのか、これは、非常に重要な問題であると思う。そこには、必ず人間がおり、脳があり、歴史があるはずである。



ユダヤ教シャブタイ派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%96%E3%82%BF%E3%82%A4%E6%B4%BE



長いユダヤ教の歴史の中で、こういう価値逆転的なカルトが生じているはずと思っていたが、やはりあった。


抜粋引用「ツヴィとナタンの主張によれば、ユダヤ教の戒律とは救世主の到来を促すための手段にすぎず、すでに救世主たるツヴィが現れている以上、戒律の有効性は自ずから消失するという理論なのであった。」それから「蛇」を克服するものとしてではなく、創造と救済のための重要な存在とみる。


戒律破棄、蛇に呑みこまれることが、聖人のが成就するための一つのプロセスと主張する。シャバタイのイスラム強制改宗の説明なのかもしれんが、しかし、こういう価値逆転化したユダヤ教義が、現在の資本主義金融家の中に、どの程度存在するのか。


日本仏教の場合、詳しくはないがひとつは、真言密教立川流のようなものがでてきた。もう一つは、親鸞である。ただ、彼は破戒僧としての罪意識を保ちぬき、本来の仏教と紙一重でつながる救済観を作ってくれた。これに対して、ツヴィは罪意識を自らを救世主とする誇大妄想で取り除いたようだ。