勝海舟の心の中にあった「日本」

 ツイッターでは、botというのがあって、過去の思想家や、歴史的人物の発言が、多分自動ツイートの仕組みであろうが、出まわっていて、ハッとすることがある。勝海舟botもその一つで、最近、TLに出ているのをみつけて、これはと思い、それ以来フォローしていた。そこで見かけた文章というか、口語体の文言のなかに、なにかヒントになるような感触、それは、ユーモアとか諧謔、余裕でもあるし、その裏にひそんでいるものすごい大局的で健全な精神でもあったのだが、その感触を求めて、勝海舟botアカウントを開いてみたら、至言に満ちていて感動してしまった。その一部をリツイートしまくったのだが、以下にまず、書き綴っておく。これらは、まさしく勝海舟の「つぶやき」であって、ツイッターという道具になじむような表現だとも思う。


1.勝海舟のつぶやき集 @KatsuKaishuBotより

坐禅と剣術とがおれの土台となつて、後年大層ためになつた。ある時分、沢山剣客やなんかにひやかされたが、いつも手取りにした。危難に際会して逃れられぬ場合と見たら、まづ身命を捨てゝかゝつた。しかして不思議にも一度も死なゝかつた。こゝに精神上の一大作用が存在するのだ。


知己を千載の下に求める覚悟で進んでいけば、いつかは、わが赤心の貫徹する機会が来て、従来敵視して居た人の中にも、互に肝胆を吐露しあふほどの知己が出来るものだ。区々たる世間の毀誉褒貶を気に懸けるやうでは、到底仕方がない。


しかし朝鮮を馬鹿にするのも、たゞ近来の事だヨ。昔は、日本文明の種子は、みな朝鮮から輸入したのだからノー。特に土木事業などは、尽く朝鮮人に教はつたのだ。数百年も前には、朝鮮人も日本人のお師匠様だつたのサ。


政事家がとかく宗教に手を出すのは、とんでもない大事を惹き起す源だ。従来徳川では、宗教は敬して遠ざける方針を執つて、各派の僧侶には高位高職に相当する位階を与へ、また寺には御朱印地を付けて、いつさい彼らの自治に任せたのだ。治めざるをもつて治めるのが、幕府の宗教に対する政略であつた。


山を掘ることは旧幕時代からやつて居た事だが、旧幕時代は手の先でチヨイチヨイやつて居たんだ。海へ小便したつて海の水は小便にはなるまい。手の先で掘つて居れば毒は流れやしまい。今日は文明ださうだ。文明の大仕掛で山を掘りながら、その他の仕掛はこれに伴はぬ。わかつたかね…元が間違つてるんだ  (勝海舟田中正造と知己だった)


鉱毒問題は、直ちに停止の外ない。今になつてその処置法を講究するは姑息だ。先づ正論によつて撃ち破り、前政府の非を改め、而して後にこそ、その処分法を議すべきである。然らざれば、如何に善き処分法を立つるとも、人心快然たることなし。何時までも鬱積して破裂せざれば、民心遂に離散すべし。


『お前達は、朝鮮征伐をやらかさうといふさうだが、それは男らしくて面白い、おやんなさい。だが、その跡はどうするのだ』と聞いてやると、みンな弱つてしまつた。『先づ支那から台湾の方へ行つて見ろ』と命じてやつた。それでみンなが行つて、初めて外国を見て、驚いてしまつて、朝鮮征伐は止んだよ。


高杉晋作。年は若し、時が時だつたから、充分器量を出さずにしまつたが、活気の強かつた男さ。吉田松陰。マジメな人だつた。漢書は読めたし、武士道は心得て居るし、なかなかエラ物だつた。長州では、殺された者の中になかなか人物があつたよ。今ぢやア伊藤さんが一番えらからう。生きてるからネー。


人間は、難局に当つてびくとも動かぬ度胸が無くては、とても大事を負担することは出来ない。今の奴らは、やゝもすれば、智慧をもつて、一時逃れに難関を切り抜けうとするけれども、智慧には尽きる時があるから、それは到底無益だ。


久能山だとか、日光だとかいふものを、世の中の人は、たゞ単に徳川氏の祖廟とばかり思つて居るだらうが、あそこには、ちやんと信長、秀吉、家康、三人の霊を合祀してあるのだ。これで織田豊臣の遺臣なども、自然に心を徳川氏に寄せて来たものだ。この辺の深味は、とても当世の政治家には解らない。


昔にも、お家のためだから生きるとか死ぬるとか騒ぐ奴がよくあつたが、それはみな自負心だ。うぬぼれだ。うぬぼれを除ければ、国家のために尽すといふ正味のところは少しもないのだ。それゆゑにもしそんな自負心が起つた時には、おれは必死になつてこれを押へつけた。


岩瀬、川路の諸氏が米国と条約を結ぶ時などは、たゞ知つた事を知つたとして、知らぬ事を知らぬとし、誠心正意でもつて、国家のために譲られないことは一歩も譲らず、折れ合ふべきことは、成るべく円滑に折れ合ふたものだから、米国公使もその誠意に感じて、相欺くに忍びないやうになつたのサ。


外交の極意は、誠心正意にあるのだ。胡麻化しなどをやりかけると、かえつて向ふから、こちらの弱点を見抜かれるものだヨ


北条義時は、国家のためには、不忠の名を甘んじて受けた。すなはち自分の身を犠牲にして、国家のために尽したのだ。その苦心は、とても硜々たる小丈夫には分らない。おれも幕府瓦解の時には、せめて義時に嗤はれないやうにと、幾度も心を引き締めたことがあつたツケ。


歌詞などはまづくつても誠さへあれば鬼神は感動するよ。今はこの誠といふものが欠けて居る。政治とか経済とかいつて騒いで居る連中も、真に国家を憂ふるの誠から出たものは少い。多くは私の利益や名誉を求めるためだ。世間は勝の老いぼれめがといつて嘲るか知らないが実際おれは国家の前途を憂へるよ


維新の頃には、妻子までもおれには不平だつたヨ。広い天下におれに賛成するものは一人もなかつたけれども、おれは常に世の中には道といふものがあると思つて、楽しんで居た。



以上つぶやき引用
 勝海舟は、維新ものの大河ドラマでしかイメージがなかったが、かれのつぶやきに触れ、きちんと本を読んでみたくなった。混乱の中で何を頼りにするのか、「道」だと私も思っているが、彼は、それを維新期に実践していたのだ。小丈夫と大丈夫、小義と大義、忠義と、大義のための一時的な不忠を甘んじること、外交における国家の誠と、そこから来る鬼神をも押しのける力、「道」に沿うことの楽しさ、坐禅と剣術、それから、洒脱とユーモアだ。勝の依った道と誠の場所が、彼の洒脱な文言から、なんとなく伝わってきて、非常にうれしいものだ。私は、反面教師としてマキアヴェッリbotもフォローしているが、彼は基本的に性悪説的な君主、兵法論である。だが、本当に大切な、大きなものが動くようなときは、多分、勝海舟のような人のところに人が集まり、そことの信頼関係から、命がけで、いろんなことが成されていくのだと思う。
 その後の足で、思わず、勝海舟の「氷川清話」を書店で購入してしまった。彼の文言をみていると、坂本竜馬をはじめとした者たちが、目を輝かせて、新たな「日本」を構想して、ひた走って行った、そういう気持ちも、不思議と分かる気がする。熟読玩味していきたい。


2.勝海舟の心の中にあった「日本」  福沢への反批判から

 勝の考えは、「愉快圧制主義」の福沢諭吉とは、衝突するのではないかと感じたが、果たしてその通りであった。中公クラシックス版前書きには、福沢が、「立国は私なり、公にあらざるなり」といい、徳川の臣であった勝は徳川の「私」に殉じるべきであり、明治国家に仕えるべきでなかったと批判をしていたというのである。その批判を、「丸山真男」が賞賛していたというのだ。奇怪だ。「公」国家で行動した勝よりも、「私」国家論を展開した福沢を、高く評価した丸山真男を、神輿に担いで威張っていた戦後民主主義の奇形性。戦後民主主義が、「私」国家に回帰しようとしている今に至るその奇形の帰結を、見る思いがした。
 福沢の批判に、勝はこう述べてる。「福沢がこの頃、痩我慢の説といふのを書いて、おれや榎本など、維新の時の進退に就いて攻撃したのを送つて来たよ。ソコで「批評は人の自由、行蔵は我に存す」云々の返書をだして、公表されても差支へない事を言つてやつたまでサ。・・福沢は学者だからネ。おれなどの通る道と道が違うよ。つまり『徳川幕府あるを知つて日本あるを知らざるの徒(ともがら)は、まさにその如くなるべし。唯百年の日本を憂ふるの士は、まさにかくの如くならざるべからず』サ。」 
 この勝の福沢への反批判を、解説者松本健一が代弁する。「より詳しくいえば、福沢は「徳川幕府あるを知って日本あるをしらざるの徒」だ。福沢はオレのことを徳川幕府の「私」に仕えたのだから明治政府の「私」に仕えるべきではなかった、と批判した。オレはたしかに明治政府に仕えたが、それは明治政府の「私」に仕えたのではない。「日本」に仕えたのだ。徳川時代だって徳川幕府の「私」に仕えたのではない。「日本」という「公」に仕えたのだ、と」
 ここでの勝の「日本」は、福沢のいうような私によって立国された明治政府の靖国神道による「私的」な日本ではない。もっとパブリックな、諸外国と共に立ち行くような日本である。靖国のある前から、日本人の中に芽生えた日本であり、江戸をも、あるいは明治をも超越する次元をもつ。そして、松本はこうまとめる。「勝海舟は世間が「尊王」か「佐幕」かとさわいでいるとき、まず第一に(正確にいえば佐久間象山に次いで)「日本」に目ざめた国民であった。それは、「国民」という概念がまだない時代のネーションの自立だった。」
 明治精神の歪みが目に入らなかった、作家、司馬遼太郎と学者、丸山真男、そういう文化が、昭和を経て、平成を呼び寄せたのではなかろうか。



3.福沢的明治精神から連なる、現代日本の「安倍問題」
 以前から注目していた作家だか評論家だかの河信基氏が、現在日本のおかれている広範囲な問題系を、「安倍問題」とネーミングして分析してみせてくれている。これは、私が掘り返している問題系と同じことでもあったので、それについての本日のツイートを並べておく。


安倍晋三の研究(2)米中「新型大国関係」に反発 - 河信基
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/45407608.html
歴史認識尖閣領有で対立した煽りで、世界最大の中国市場から閉め出された。漁夫の利を得る形で韓国は日本の分まで対中輸出を増大させ、昨年の貿易黒字、経常収支共には史上最大


安倍晋三の研究(1)アベノリスク - 河信基の深読み
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/45399242.html
「今の日本に向かって押し寄せている外圧は、西洋の黒船ではなく、同じアジアの韓国、中国からの黒船である。言わば、「脱亜入欧」の負の遺産清算を求める第2の新型の外圧なのである」 


河さん、深く読んでいる。これが、残念ながら、今の日本が向き合っている公案であると私も思う。小沢はそれを正攻法で解こうとしたが、アメリカ政府ではなくアメリ軍産複合体にそそのかされて尖閣トラップにみずから愉快にはまった明治以来の脱亜入欧族が、日本を救いがたいような所に追い込んだ


ボクシングのリングで、安倍が本気で中国相手に向かってゆき、オバマが安倍コーナーのリングサイドで心配そうに眺めているという風刺画があったが、安倍コーナーと反対側のリングサイド、安倍の前から、アーミテージが、行け行けとアジっている、それが正確に日本がおかれた立場の風刺であろう。


いや、今は、「日本がおかれた立場」ではなく、「日本がおかれていた立場」で、アーミテージ側も、アジりすぎた結果としての安倍の歴史修正主義に、ついてゆけなくなっている。というか、彼らはそれを予想していただろう。「俺は最後は、止めようとしたけど、日本が狂ったのだ」というエクスキューズ。


尖閣国有化からの正味の結果は、中国市場からの日本企業の締め出しと、韓国企業の躍進、あるいは、米国も日本のシェアを奪い、市場を確保しつつあるだろう。そして、日本の軍事費の増額、オスプレイ全国配備で、日本を狂わせて、2重にウマい結果になっている。


明治の福沢印の「脱亜入欧」「圧制愉快の俺様」路線の結果が、これだ。周囲が見えない奴を、詐欺にかけるのは、国家レベルでも簡単といえば、簡単なのだろう。安倍というか、ブレーン格っぽい甘利が、この辺、どう考えているのか。


以上、ツイート引用終了
 TPP交渉で米国と張り合っていて、頼もしそうにみえた甘利だったが、ゲンダイを読むと、あれは、アメリカ側の交渉担当官と交渉しても、大統領にファストトラックとかいう貿易交渉決定権がないので元来、意味をなさないのだが、交渉決裂ということで、一応、国益を守るようにみせているといった裏事情もあったようだ。甘利は、舌癌がわかった時点で、退任を申し出ているが、安倍がひきとめたということもあったようであり、そういう点も考えると、彼が本腰で、命もかけて安倍路線をささえきる力と知力と見通しを持っているようには見えない。
 この「安倍問題」という、現代日本の死活をかけた公案を解くための鍵として、私は、勝海舟の心に確固としてあった「日本」があると思うのだ。それは、明治を生んだ構想であるが、明治を超えた、より普遍的な構想である。また、靖国的ピラミッド国家体制ではなく、より横の連盟、共同、合議制を、藩を超えた「オールジャパン」として志向した、現代的な構想でもあり、かつ、あくまでも、アジアの中の日本という、地に足のついた等身大の自己認識を持っていた。我らが先人として、勝海舟がいてくれたことに、私は救いをみる。今、「徳川問題」を超えたようにして、「安倍問題」を超えないといけない時期にきているのではないだろうか。



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http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20140128