『“清掃員画家”ガタロの30年 』をみて

  NHK教育ハートネットTVは、なにか障害者を妙に盛り立てて、無理に主役にしたてあげる感じがして、好きではなかったのだが、今回、たまたま地上波をザッピング中に、非常に手際よく、トイレ掃除をしているおじさんをみて、引き込まれるように見てしまった。あの動きは、無心に作務をする禅僧の掃除の時の動きに近い。 


捨てられしものを描き続けて ―“清掃員画家”ガタロの30年 ハートネットTV
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-03/05.html


 途中から見たので、どのような障害の方かわからないが、清掃業を8年ぐらいする中で、仕事や道具に誇りを覚えるようになる。「汚いものをきれいにする道具、それで、何も言わない道具」と表現し、モップ、たわしなどの、清掃道具を、丁寧に丁寧に、捨てずに、修理をして使い続け、拾ってきた材料でつくった清掃道具をいれる台車に、「大五郎」という名前をつける。40歳の時に、33歳の看護師女性と結婚、相手は、外科系看護師で疲れ果て、なにかを見失いかけていた時だったとインタビューがある。自分より収入の低い男性との結婚に抵抗はなかったかというような話題になり、「とにかく、誠実さがあった」と。結婚後、彼女は一時仕事をやめ、夫の掃除の手伝いをするようにもなる。夫のかたわらで、トイレの床を雑巾がけする妻をみて、「本当に一緒にやってゆこうと思った」と。その後、一人の子供にも恵まれ、自立させるまで育て上げた。
 午後6時5分に帰ってくる妻のために、夕食は「ガタロ」が、これも手際よく、迷いのない手つきでつくりあげる。彼と、彼女の顔、語りが、本当に美しい。こういう美しさが、まれに、世の中に出現する。幾千の演技論を経た女優、男優、あるいは、巨匠といわれる映画監督でも、表現できない何かがある。想田監督のドキュメンタリー「精神」でも、これに似た時間、映像がながれていたが、それよりも、どこか救いがある。


 妙に感傷的になったが、その思いのまま、このドキュメンタリーに、あるいは、彼らのような人々の生活、心意気に、マーラー交響曲第5番の4楽章、アダージェットを捧げる。ピアノ編曲版で、ちょっとミスはあるけど、湿っぽさがあっていい。


Gustav Mahler - Adagietto from Symphony No. 5(pianotranscription)
http://www.youtube.com/watch?v=rGDrv8Ms_aM

 
 それと、もう一つ、イエスの「山上の垂訓」を捧げたい。失う時に、世界がむしろ、新たに開くこと。それを、力強く歌った詩である。今読んでも、前衛詩といっていいぐらいの、革命性に満ちている。この時点での彼の言明には、十字架での彼の死と復活を主題とした信仰は前提とされていない。彼が、たぶん不本意なほどに神格化されてしまった「キリスト教」成立以前のイエスの話であり、キリスト教以後の、神父や牧師の説教とはかけはなれた力がある。こういう、根本的な楽天性が、何かに感応して、世界の共振を、こういってよければ、マルティチュードたちによるコモンの創出を、導くのだろう。


 心の貧しい者は幸いである。天の御国はその人のものだ。
 悲しむ者は幸いである。その人は慰められる。
 柔和な者は幸いである。その人は地を相続する。
 義に飢え渇いている者は幸いである。その人は満ち足りる。
 あわれみ深い者は幸いである。その人はあわれみを受ける。
 心のきよい者は幸いである。その人は神を見る。
 平和をつくる者は幸いである。その人は神の子どもと呼ばれる。
 義のために迫害されている者は幸いである。天の御国はその人のものである。