第10回 浜松国際ピアノコンクール印象ツイート記

2次予選


November 18th

下駄はいて銭湯いくみたいには、地元民が予約なし当日券で行くことができないコンクールになってしまった。さらに、今回は日本人を優勝させるというミッションを課せられていないかどうかが、一抹の危惧。とにかく公正価格設定の浜松魂をコンクールは貫くべきである。


牛田智大 2次予選
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail2.php?id=79
ラフマニノフ 第2番
ショパン バラード第1番
佐々木 SACRIFICE
ちゃらいアイドルかと思いきや、他のコンテスタントと同様の若き青年ピアニストの卵として、堂々とコンクールに臨む姿に感じいる。偉大な芸術家、紘子女史への想い出という凄みもある。


3次予選に勝ち残ったコンテスタントさんたちには、是非、作曲家、作品との直接対話を経て、自分の中にある、個性的な熱い表現欲求を、浜松の舞台にぶつけ切ってほしいと思う。そう、若さでぶち抜けてもらいたい。浜松という街はそんな新しい才能を受け止める度量はある、と思う。



3次予選



November 19th  
ラヴェル「鏡」演奏中なう
務川慧悟 3次
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail3.php?id=50
ドビュッシーではなく、骨と影のあるラヴェルだ。しかしこれも繊細かつダイナミックな熱演。


牛田君のプログラム視聴。シューベルト即興曲は、お口直し的だが、クラシックギターをやるものにとっては、大変好きなアルペジオ曲。その後のリストロ短調ソナタも圧巻だった。19才の今、もてる実力を出しきったのではないか。
牛田智大3次
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail3.php?id=79



おそらく、#浜コン でしか聴けないような、そういう渾身の音楽表現というものがある。今日の3次予選をライブ配信でちらちら見ながら、そういう思いを新たにした。コンサートではなく、コンクールという設定がなにか途方もないものんをひきだしてくれるのだろう。もはや競争ではない。饗宴になっている



November 21st
 浜コンに限って、静岡判定、嫌韓判定、日本スゴイ判定はないと信じたいが、キム君と、静岡県勢2人のうちどちらかの3次録画をみて確認しておく。浜コンで必要な忖度は、ヤマハとカワイのピアノをステージに置き、浜松市の音楽都市としての成熟を促すことで、優勝者の人種、民族性、性別、県別などに対しては、まったく忖度を要しない、というよさがあったのではないか。ピアノという楽器を、本当に優れて弾いてくれる人を発掘し、ピアノ芸術を高め、裾野を広げ、ピアノ販売数がオマケで増えてくれればいい、そういう意味のコンクールだったのではないか。それが、回数を重ねるごとにプライズとしての箔に磨きがかかってきて、そのプライズを得ること自体に、浜松市が認めたピアノ芸術の伝道者という価値とは、また別の、名声としての価値も生じてきたのだろうか。
 小川委員長は就任にあたり、浜コン優勝者というだけで世界にピアニストとして認められるコンクールにしたいとはなしていたが、そんな明言された方向性にもリンクする。演奏のみではなく、演奏プラス人を、選んでくる荷重が垣間見えなくもない。そんな邪推を限りなく薄めるためにも、3次予選録画配信も、確認。


梅田智也 3次
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail3.php?id=78
3次予選中継でみていました。ロ短調ソナタの気迫、伝わってきました。お疲れさまでした。 https://twitter.com/Tomoya__Umeda/status/1065157326171062272


キム・ソンヒョン 3次
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail3.php?id=35
特に、ショパン前奏曲全曲をきくと、ミスもゼロではないものの、チョソンジンを思わせるような上品さと、テンダネスさ、聴いていての安定感がある。韓国ピアノ界に今ある土壌が生んでいるのだろう、と感じる。


今回は、全日本浜松国際ピアノコンクール in 静岡という感じになった。こういう顔ぶれは初めてではないだろうか。 https://twitter.com/HIPICofficial/status/1065193306513059840
No.50 MUKAWA Keigo
No.90 YASUNAMI Takashi
No.79 USHIDA Tomoharu
No.22 IMADA Atsushi
No.41 LEE Hyuk
No.10 Can CAKMUR


November 22nd  
安並貴史 3次
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail3.php?id=90
ライブ配信聴いていた時に、ベートベンでどうかと思う時があったが、本人研究しているというドホナーニは、印象派に傾かないクラシックな色彩に溢れていた。ハンガリー人で指揮者ドホナーニの祖父ということだ。


 ロシアピアニストでもなく、チョ ソンジンやキム ソンヒョンのような韓国ピアニストではなく、日本人ピアニストの今の若手が確立しつつあるフィーリングというものがどういうものなのか、そういうものもにじみ出る本選となるかもしれない。楽器には、製造者の国籍の色調、個性が、意識しなくてもにじみ出てしまうものだが、演奏家となるとなおさらだろう。繊細さと清らかさといった所になるのだろうか。ただ、大陸的な豪胆さが、どこか足らないのでもないか、と心配はする。大河と大地がはぐくむスケールの大きさだ。



本選


November 23rd
務川慧悟 本選
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail4.php?id=50

安並貴史 本選
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail4.php?id=90

音のビビットさは、安並君にインパクトがあったとは思う。務川君は完成の域。ただ、序盤にもう一つ引き込むようなエネルギーが欲しかった。双方よくやってくれました。次が、牛田君の出番。


牛田智大 本選
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail4.php?id=79


 牛田君の演奏は、最初の出だしから引き込まれるものがあった。ラフマニノフの2番は、本当にいい演奏をきくと何故か涙ものの音楽なのだが、そんな深く美しい表現だった。彼がインタビューで言っていたように、コンサートではなく、コンクールだからこそなせた、本当に一期一会の演奏だった。この2年程度、いろいろあったのかもしれないが、ラフマニノフがこの2番で再起したように、牛田君もそんなラフ2番の演奏で、それも、浜松国際で、なにかを成し遂げた日になったのではないかと感じる。だいたい、本選を聴いていると、これは優勝するなという方の演奏はわかるが今日の牛田君はそうだった。

 すごい演奏に立ち会えた、生きていてよかった、そんな声もあるが、実際、私もコンサート後にバーに寄って、スパークリングワインをのみながら、そんな感慨を持った。音楽というものが時に深い体験になる時がある。それは、演奏家と聴衆があってこそだ。今日も、驚くほどのサイレンスがあった。牛田君の演奏が始まる前のサイレンス、そこにまず息を呑んだものである。ああいうサイレンスは浜コンでしかなかなかない。普通のコンサートでは、ああいう水を打ったような間は生まれないのではないか。一人の青年の実存的な賭けが、今まさに始まる瞬間、そんな間合いである。彼は、それを味方につける実力があったのだろう。また、サムライの姿や、禅僧の姿、そんな姿を彼の演奏から印象づけられる所があった。求道的といっていいような、日本人演奏家のなにかありようだろうか。

 明日の奏者の中から、優勝する人がもしかしたらでるのかもしれない。もしそうだとしたら、今日の牛田君を超えるほどの演奏をされたということであれば、彼にも敬意を表したいと思う。それはそれで、満足である。果たして、どうなるか。


 牛田君はもちろん、3次予選の曲を心の糧としていたという務川君、小さい頃に地元できいていたコンクール本選の場に自分が立つことになった安並君、それぞれがあの舞台に立つに至るまでの物語があるんだろうなと思う。確かに小説にはなろう。昨日の最後は映画のワンシーンのようでもあった。



November 24th
【コブリン インタビュー】私たちはいま、何が良くて何が悪いか、趣味がいいということは何か、その感覚が混乱する時代に生きていると思います。この不確実さが、若いピアニストに進むべき方向をわかりにくくさせているのだと思います。結果的に、彼らはひとり浮遊するような形になってしまう。 そしてある人は、早く簡単にそこから抜け出す方法をとり、ある人はそのままさまよい、ある人はもがきます。
http://www.hipic.jp/news/2018/11/post-69.php

Facebookでは、彼のおちゃらけた一面をみることができたが、インタビューは深い。いろいろ参考になった。


本日は、パソコンでちらちら視聴。イ ヒョク君のラフマニノフ3番、ソロパッセージの所が泣かせると思った。3番は2番に比べ、作品としての壮麗さと完全無欠さに欠く印象はあるが、今回、見直すきっかけにもなった。最後のジャン チャクムルのリストも同様。いい曲はまだまだたくさんある。

今田篤 本選
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail4.php?id=22

イ ヒョク 本選
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail4.php?id=41

ジャン チャクムル 本選
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail4.php?id=10


 確かに、協奏曲の経験、ステージ経験ということで、やはり、牛田君には、他のコンテスタントにはないような、かなりのアドバンテージはあったと思う。高関、都響とは同じ曲で演奏しているというから、リハで合わせて1日目の他のコンテスタントに比べれば、半端ないアドバンテージではある。ただしセミプロの方が、国際コンクールにでるというのは、場合によっては2次予選、3次予選ぐらいで先にすすめないとされる可能性もあり、ピアニストとしてのキャリア形成にとっては大きな賭けになると思う。その裁きを受け入れ臨む潔さが、彼にはあったと感じる。


 牛田君、2位に終わったか。ただ、昨日の演奏を生で聴けて、非常にありがたかった。かけがえのない音楽体験ができたのは確かだ。聴衆賞には、私の一票とブラボーが入っている。ワルシャワ市長賞も、おめでとう!


Can Çakmur Personal Piano Web Page
http://www.cancakmur.com/home.html
ホームページみると、チャクムル君は、どうも、トルコの牛田君みたいな方のようだ。



競演/饗宴の後に



November 26th
中日新聞 26日朝刊】万感、輝く音色 浜コン入賞6人が演奏会
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/tokai-news/CK2018112602000085.html
小川審査委員長「今回、異例の盛り上がりを見せたのは「蜜蜂と遠雷」の影響が大きいのは間違いありません。私たちがこの小説に感動したのは、ピアノの音や演奏を巧みに表現してくれたのはもちろん、演奏していないときにも、人間ドラマがあると教えてくれたからです」

【公式】11/24 表彰式&記者会見
http://www.hipic.jp/news/2018/11/1124.php
小川審査委委員長「私が個人的な見解を他の審査委員の意見を聞く前に申し上げれば、日本人の出場者の水準、完成度は極めて高かったと思います。演奏している最中に腕をツンツンしても、弾くのをやめないだろうという意気込みが感じられるというか、侍の演奏というか。そのくらいの迫力が感じられました。
/サムライを持ち出したのは、私と同じような印象を持っていたということか。主従関係や階級、無名の暴力性を思わせる武士ではなく、一人でも立ちゆき、事にあたっては美学を貫き生きるようなサムライ。禅の書や芸術にもつながろう。


November 28th
Hamamatsu International Piano Competition
‏@HIPICofficial
本選指揮者・高関健さんのインタビューを掲載しています。本番前のリハーサル終了時のインタビューですが、ピアニストに必要な事やオーケストラと共演するために重要な事など、とても興味深いお話です。ぜひお読みください。
http://www.hipic.jp/news/2018/11/post-72.php
「いわば、参加者のほうが強い立場に立てる、そういう瞬間があるんです。圧倒的にいいと認めさせないと優勝はできませんし、その後が続きません。おそらく、他のコンクールでも同じではないかと思います」

/これは新たな才能が開花している瞬間でもあると思う。コンクール、特に本選で感じることがある。論文を投稿する機会を持ったことがあるので、似たような「怒り」に似たような「わかってくれ」という叫びはよくわかる。そこで、審査者が持ちえないような新しいものをはぐくみ、見通し、表現する者として、被審査者が審査者の上に立ってしまう瞬間が確かにある。あたらしい世代という問いに、生き様を含めて正面から立ち向かい、答えを出すものは、老練な玄人ではなく、若者しかいない、しかできないという所があるのだ。




P.S.


チャクムル君 3次予選
http://www.hipic.jp/streaming/vod/detail3.php?id=10
シューベルトはしみじみしすぎている嫌いがあるのだが、モーツァルトピアノ四重奏になると俄然、生き生きしてくる。装飾音は独自につけており、その軽妙さも彼ならではと思う。


チャクムル君情報は、トルコ語を訳してくださっている方のツイートを発見し、参考になりました。
@VillaVerde_Ant

質問:ステージで緊張し困ることがありますか?どのように解消していますか?
チャクムル君:ベルギーでの初めての国際コンクールで、ステージに上がった時、木の葉のように震えました。緊張を抑えられなくて、たぶんそのせいで暗譜で間違えてしまったんですね。でも審査委員はそこは気に留めず。それから自分自身にこう説き聞かせたんです。「お前には伝えるべき言葉がある。それを聴きたい人が集まってお前に耳を傾けている。大事なのは言葉を伝えること。間違えるのは人のさがなんだから…」その日以来、その時のような恐怖を感じることはなくなりました。
https://twitter.com/VillaVerde_Ant/status/1066804216293920775
/いい話である。


「その週のプログラムを父がCDに録音し、1週間を通してそれを聴き続けます。金曜日か土曜日の夕方のコンサートに期待することを自覚しながら聴くんです。コンサートで母は私の耳元でしきりに囁きました。「ジャン、ティンパニを見て!」とか「ほら、指揮者があんな風にチェロに合図してる!」とか」
https://twitter.com/VillaVerde_Ant/status/1066992091094499328
/これは、モーツァルトピアノ四重奏で、要所要所でしっかりと楽器演奏者たちをみようとしていた、彼のの演奏態度にもつながる。


「先生方は常に、個人としての成長と芸術的成長を技術の開発と同じくらい重視していました。学ぶこと、考えること、音楽を聴きそれについて深く考えをめぐらすこと、何が美的なもので何が醜いものか自分ひとりで判断を下すこと。それらがピアノを弾くことに並んで先生方が僕に習得させようとしたものです」
https://twitter.com/VillaVerde_Ant/status/1067043097794813956
/こういうphilosophicalな確信をもって、ピアノ音楽を教えている教師は、日本には少ないかもしれん。大事なことなのだが。


個々の奏者の感想、コメントを丁寧に記載され、コンクール事情にもくわしいであろう方のツイート、記事より引用。
@gnuton1
「より適切な採点法を模索すべきと思うが、少なくともYes/No制の問題点については広く議論されたほうがいいような気がする」
https://twitter.com/gnuton1/status/1067794312132317184
/一次予選で自分も感じた、あれっという落選について、少し納得いくような説明がなされている。ベストはないだろうが、ベターは探るべきだろうと思う。


【公式】ヤン・イラーチェク・フォン・アルニン審査委員 インタビュー
「古典派の作品を演奏するうえでは、自然な流れとエレガンスが大切です。ダンスの感覚を大切にすべきです。早く踊ったり遅く踊ったりするダンスではありませんよ。適切な間やテンポ感を大切にしたダンスです」
http://www.hipic.jp/news/2018/11/post-73.php


 ウィーン古典派からの逆襲といったインタビューだ。今回の優勝者選定のスタンスを見た感じである。ウインナワルツは、ズンチャッチャッ、ズンチャッチャッではなく、ズチャッ・チャ、ズチャッ・チャであると、ギター教師から言われたことがあった。 
 リストソナタ、ベートーベン後期ソナタも、個人的にはこのコンクールで若者の熱演が聴けるのは、ありがたい体験とは思っていた。先生、曲選定の偏りにお怒りのようだが、これらのソナタも、プロコ3番も、必ずしも過去の優勝者が弾いていたからやるということでもなかろうに、と思う。モーツァルトではなく、ベートーベン前期でもなく、それに挑もうとするコンテスタントたちの内的な必然性があったのだと思う。
 ただ、このコンクールからめっきり欧州風のピアニズムがみられなくなったというコメントもあったが、それを裏書してくれるようなインタビュー記事ではあった。チャクムル君が、むしろ、それを体現されていたのかもしれない。だから、次からは、それを真似てウインナワルツで、では、元も子もないので、アルニン先生の感慨を、バランス感覚を取り戻すきっかけとなるメッセージにする、ぐらいなんじゃなかろうかとも思う。その上で、コブリンもいうように、何がセンスよくて、何がセンスが悪いのか、その解が個人に問われる時代になった。チャクムルも、その美学、独自の判断力が大切であることを先生から学んだという。その解をみずから担い、世に問うという面もあるのがコンクールといえるのではないか。少なくとも、私は、そういった彼らの真摯さ聴きに行っているのだと思う。