広島 世界平和記念聖堂に参ずる

 広島出張の機会に、一度は参じたかった、世界平和記念聖堂に行く。愛宮ラサールという日本に帰化したイエズス会神父が、原爆の惨状を目の当たりにして、強い祈りをもって、戦後再建した広島市中心部にあるカトリック教会である。原爆ドーム見学後に、路面電車にのって、最寄り駅「銀山」で降りようと注意していたのだが、「カナヤマ」とのアナウンスがあり、「金山のつぎが、銀山なのかな」と思っていたら、「銀山」を「カナヤマ」とよませるようで、一つ先の停車場でおりることになった。稲荷大橋を渡って、京橋川沿いを渡って後ろから教会に近づいていった。
 祭壇の上に位置する、ひときわ高くそびえる塔があり、その頂上に控えめな、しかしシャープな銀の十字架がかけられている。祭壇の背景の絵は、大きなイエス像だが、右上から左下にかけて、イエス像をさらにしのぐような、太い光のラインが描かれていた。他の教会では見かけない、この帯状の光線をふくむラインは、十字架に相当するような、かつ、広島に特異的な、なんらかの大切な宗教的象徴があるように思われた。
 京橋川には、原爆投下後には、おびただしい数の死体が流れていたという。そのような地獄のような歴史的史実を記録する案内板の隣には、今は普通に、しゃれた川沿いの喫茶店があり、数人の客がお茶をしている。原爆ドームは、元安川という川沿いに位置していた。そこも、いかにこの世離れした景色がひろがっていただろうか?と案じられた。これは、実際いってみないとわからないことかもしれない。ドームのすぐ近くには、浄土宗、PLなど、宗教施設が立ち並んでいた。
 1945年8月6日、午前8時15分に広島に顕現した、原爆投下後の、焼け野原以上の、この世のものとは思えない熱波、放射線による人間への惨状、地獄絵図を目前にした人々の中に、特に、宗教家の中に、それを超えるような、「我、超世の願を建つ」(by 法蔵菩薩)というような、強烈な祈りが、立ち上がっていったのではないか。そのような強烈な祈りが、愛宮ラサールをして、世界平和記念堂の建立をなさしめた。かなり大きなイエス像と、彼を貫く光は、祈りの強さを物語っているように思われた。私は、イエスの後ろに、もっと、もっと、もっと巨大な、日輪のような光輪を、描いてやればよかったのではないかと思った。
 愛宮ラサールは、カトリック神父であるにもかかわらず、「非対象的瞑想」として、日本の禅に注目し、発心寺の老師に弟子入りしてまで、集中的に禅修業をした神父である。新教会ができた後も、地下聖堂で、よく座禅をしている姿が目撃されたという。信徒にも、キリスト教理解を深めるためにも、禅を勧めていった。その流れを汲む座禅会が、まだ月に一回やっていた。東西の霊性の、本物の交流が、ここにあると思う。このあたりの、結節点が、私にとっての一つのテーマになっている所がある。世界平和記念聖堂の、祈る人すべてに開放された聖堂で、愛宮ラサールに思いを馳せながら、あるいは、彼にささげるような気持ちで、20分程度の座り座禅をした。
 いい静寂が流れていた。薄暗い教会内に、私の他にも、一人長くたたずんでいる人がいた。そんな中で、6時の鐘がなりひびき、子連れの夫婦が、短時間座って帰り、また、脇にあるマリア像に祈っている人がいる。いい静寂であった。


P.S. 世界平和記念聖堂の案内ページに、祭壇背景モザイク画の画像と説明があった。

世界平和記念聖堂の内陣の正面の壁にあるモザイク
http://hiroshima.catholic.jp/~pcaph/cathedral/ja/?p=8

やはり、一般的な十字架象徴を持つイエス像ではなく、再臨したキリスト像ということであった。広島のこの場所には、これが顕れてしかるべきだと、私も思う。この象徴は、無上正覚を得た法蔵菩薩像、つまり阿弥陀仏(別名、尽十方無碍光如来)の光と、元型的にはつながっている。牧師の息子ユングは、おやじの宗教を脱して自己元型、曼荼羅象徴に行き着いたが、この光の元型をどの程度意識していたか。私は、生きた宗教的象徴の元型像があると思っている。それが、人をして、宗教的人間たらしめる礎となっていると思う。