浜松国際ピアノコンクール2

 来年(平成25年)の1月まで、公式サイトですべてのコンテスタントの演奏録画動画が、視聴できるようになっている。イヤホンで聞けば、ステレオで音もすごくいい。
http://www.hipic.jp/videos/streaming/
 3次予選、第2日目にも、会場で聴くことができた。一日時間をとることができたので、6人中4人の演奏をじっくり鑑賞できた。弦楽四重奏もあり、一人の3次予選演奏で、一晩のコンサートプログラムに近いぐらいのボリュームがあるので、こんなに長時間、一日で、力の入った生演奏を聴いたのは始めてだった。音楽三昧だ。
 優勝したラシュコフスキーが一人目だった。彼の演奏では、2曲目の「巡礼の年 第2年 イタリア より、ダンテを読んで」という曲が、強く印象にのこった。出だしのところの、おどろおどろしいぐらいの和音の連打は、こういうピアノ表現のありかた、音の出し方もあるのかと、目を見張るものがあった。曲全体に張りつめたような緊張感が漂っていたのを記憶している。展覧会の絵が3曲目だった。生で聴くのは初めてなので楽しみにしていて、ダイナミックな演奏で、それなりの感動を得たのだが、なにかdryな感じが抜けきれず、もう一つ奥行のある表現があれば、聴く方から言えば、さらにいいのではないかと思わせるところがあった。演奏ミスという点では、外したなという所はほとんどなかったと思う。
 最近は、リストのピアノソナタロ短調を、ポゴレリチの演奏で、繰り返しCDで聴いていたので、次のキム・ジュン、さらに後の、佐藤卓史の演奏が聴けるのも楽しみにしていた。多分、ミスの少なさという点では、キム・ジュンの方が上であったと思う。しかし、記憶に残るという点では、佐藤の演奏で、特に後半でフーガ調の曲想になってゆく部分は、圧倒されるものがあった。それまでは、どこかタッチミスの多さや、それによる焦りを感じさせる演奏だったのだが、このフーガあたりからは、確実に音楽の中にはいりこんでいき、ミスもほぼなくなってきていたように感じる。時間のすぎかたの密度が一変したのを覚えている。また、その中での一瞬の沈黙、無音の休止の時があったのだが、その時の深さは言葉にしがたいようなものがあった。音楽が作り出す沈黙、静寂の一つの極点を感じさせるものであったと思う。
 佐藤さんの演奏を聴いた後で帰ろうかと思ったのだが、時間の余裕もあったので、最後のソ・ヒョンミンまで聴くことにした。シューマンの交響的練習曲は、ポゴレリチのCDで何回も聞いていて、結構「のれる」曲なので、生で聴いてみたいともおもったからである。その期待を背かぬ、ミスも気づかないような安心して聴ける熱演であったし、そのあとのバルトークピアノソナタも、現代曲的な性格の曲ではあったものの、引き込まれるような、きいていて苦痛にならないような、質の高い音楽体験を与えてくれたと思う。ミスのこともあり、佐藤君よりも、このソ君が、本選に残るのではないかと思っていたが、結果は逆だった。
 さらに、結果発表が約1時間後ぐらいにあるというアナウンスがあったので、これも3年に1度だからと思い、軽く夕食をとったあとで、アクト中ホール前にかけつけた。発表前に、ラシュコフスキーがウロウロして、他のコンテスタントから外れて、一般客がいるような所まで来ていて、女性からサインを求められ応じていた。私の近くにも来ていたので、ちょっと英語で感想を、

Your piano is very dynamic and I think if you have a little wet taste in your music, you must be great pianist.

とでも、サインを求めながら言ってみればよかったのだが、自分のリュックに手を、なんとなく伸ばしたところで、ウロウロ前の方にいってしまった。
 言いたい放題の実況掲示板に書き込んでおいたが、伝わったのかは不明だ。妻が日本人という話もあるので、意外と読んでいてくれたかもしれん。記者会見の席で、聴衆のSilenceについて感銘を受けているように話していたが、それは、前回このコンクールに足を運んだ時から私も感じていたことであった。それも、一次予選から本選まで、ずっとそのsilenceの質が保たれているのだ。奇跡的なことだと思う。
 記者会見の席での、海老審査員長の、本選に残れなかったガラスの外にいるコンテスタントにたいする慈哀(こんな熟語はないが、こういう感じの)まなざしには、感じ入るものがあった。これは、現場にいなければ、みることができない横顔である。彼女は本当に温かみのある人なのだと思った。生で海老さんの口調や表情のかもしだす「功徳」に触れることができたことも、自分にとっては価値があった。
 もう一回、最後に本選1日目の感想を書くことにする。