「新自由主義は経済学ではなく、政治的スローガン」 菊池先生講義録

クロストークカフェ vol.10 菊池英博 × 岩上安身 「日本を破壊するアベノミクスの”成長戦略”――アメリカが仕掛けた新自由主義という悪魔の正体」
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/151426



 これを、ペイパービューという仕組みで見せてもらった。7月5日当日は、不具合で中止となってしまったが、その後、アーカイブで自由にみせてもらうことができるようになっていたので、時間をみつけて全部視聴した。新自由主義について、一回は、しっかりした背景知識、誰が言い始めたことなのか、その経済観、人間観はどういうものなのか、講義を聴きたいと思っていたので、いい機会になった。
 『ゾンビ経済学』という本もまだ読みかけであるが、あれが批判しているのも、まさしく、新自由主義の各種の「悪」徳目、詭弁である。ここで、「悪」という価値基準に基づく言葉を入れたのは、私も最初は「菊池先生、悪魔はいいすぎだろう」と思ったのだが、むしろ、こう形容するしかないような、そういう国家からみれば邪悪な所(資本家にとっては無慈悲な収奪がゆるされるおいしい所)を一身にになったパッケージであり、自由、平等、市場を神の手に任せることだという、妙な似非進歩的臭いを漂わす急進的思想でもあるからである。(ただし、市場も大きく中央銀行のサプライに操作されており、暴落後も政府になきつくという、なんの覚悟もない、ご都合主義の単なる詭弁のまとまりなのだが)社会保障も否定し、金のない奴、そのために準備もしていない奴は死んでも仕方がないという割り切りが、最終的なポイントである。
 アダムスミスに戻れというようなことも言っているようだが、アダムは、市場原理とともに、道徳感情論もしっかり書いている。そして、ヨーロッパにはどこか、この歯止めがあるが、フリードマンにはそれが欠落しているわけだ。



新自由主義は実証性のある経済学ではなく、富裕層のための政治的スローガンである」
どおりで、竹中のような、経済学的なゾンビが蘇るわけだ


菊池さんの「新自由主義は、顔のない資本主義」というのも、わかりやすい。人間が虫けらにまでなってもかまわない資本主義。これにヨーロッパは、素早く反応して、「我々は人間を尊重する資本主義を作る」とした。日本には、そういうカウンターは、小沢・鳩山がそうだったが、外部からつぶされた。


 ウクライナから来た苦学のユダヤ系経済学者フリードマンによる、民営化、小さい政府、法人税減税、所得税の累進性廃止、社会保障も所得に応じて受けれるだけで。金持ち優遇でトリクルダウン、おこぼれ再分配。そういう主義、新自由主義と呼ばれているパッケージが今も、日本で着実に実現されようとしている。いくら失敗しても、実証性がなくても「政治的スローガン」だからゾンビが筋骨隆々と蘇る。


1970年代にフリードマンシカゴ大学でこれを言い始めたようだが、米国に移民できた資産家階級、ネオコンサバティブの源流の人々が、「これはいい」とくいつき、役者大統領レーガンが、この主義を「受け入れ」、実現していった。福祉国家でもあった1960年代のアメリカから、その後、急変していった。


ネオコンサバティブの歴史的由来がどこにあるのかなど、あのくらいのしっかりした爺さんでないと、スパッと出てこない知識が満載である。竹中が会いたくても会えないバーナンキと、普通にアポイントとれるというのだから、あるいみ信頼のある人なんだろう。


新自由主義は、資本家が国家から富をチュウチュウ収奪するための政治的スローガン。震源アメリカの有り様が実証しているのだが、よく、こんな詭弁に、何十年も繰り返しだまされているものだ。


新自由主義では、恐慌という概念はないし、バブルは経済活動として自然なものであるとする話。その暴落も、自然な活動。その中で戦争が生ずるのも、特に問題はない。新自由主義で恩恵を被る層は、これらの災厄からは免れる位置にいる。


ただし、2008年のリーマンショックで、AIG他、米国投資銀行が破綻必至な状況になったときに、普段は市場に手をくわえるな、小さな政府だといっている張本人が、政府からガッポガッポ援助を受けて保護された。「顔のない資本主義」で儲けた当事者が、本当に困ると困った「顔」を政府にみせる


1920年代、大恐慌前も、米国銀行がやりたい放題やったが、30年代には検察が銀行を締め、当事者を血祭りにあげる自浄作用を米国はみせたが、今回はうやむやにされてしまっている


1%対99%のデモが米国でさかんに広がった時には、新自由主義が「サタン」であるという言葉は、広まっていたし、ヨーロッパでも「悪魔だ」といった強烈なイメージで忌み嫌われているが、日本ではそういうイメージが広がっていない。菊池先生は、これを広めたいとのこと。


もう一つ、菊池先生も、日本の防衛の方向として、永世中立国スイスをモデルにしたらどうかという考えがあるということだった。核は持つ必要はないが、防衛力は強化する必要があるという話。自分の同志を一人みつけた気分であった。