遠州森町サイクリング

今日は、日曜日で、5時までは時間があり、10月はじめにちょっとした仕事の山を終えたので、2か月ぶりにサイクリングにでかけた。サイクリングコースをまとめた本があって、その中の一つのコースである、遠州森町をめぐる道を走ってきた。
 太田川河川敷から、遠州一ノ宮駅に向かい、さらに小国神社にまず行った。たわわに実った柿の木がそここにあり、これが次郎柿というものなのかと、自転車で走りながらでしか得られないような、直接的な実感を得たりした。車でドライブしていたら、ちょっとした風景ぐらいなポイントが、自転車だとしみじみと、土地に根付いた風土として、実感ができる気がする。
 小国神社は、きいてイメージしていたほど大きくはないが、それなりの格を備えた神社であった。参拝客が絶えずつづき、、お祓いを受ける人や、七五三での参拝者など、それから、車を神妙な顔をしてお祓いをしている神主など、にぎわいをみせていた。神道がどういうものなのか、多分、多くの人は、私同様よくわかっていないのであろうが、なんとなくおごそかに演出された自然の雰囲気から、わかってくるものがある。
 その後、坂を上って降りて、大洞院という曹洞宗の寺までおもむく。ここは、紅葉の時期には、非常にきれいな寺で、森町が遠州の小京都といわれる由縁の一つではないかと思う。今日は、紅葉には早く、まだ葉っぱも青々としており、参拝者もまばらだったのだが、私はむしろ、ここにある坐禅堂に興味があった。昭和10年代に建てられた立派なもので、20〜30人ぐらいは坐禅ができるつくりである。古い坐禅堂自体、珍しくなってきているのではないかとおもうのだが、このくらいの規模のこじんまりとした作りの坐禅堂は、坐禅をたしなんでいる私にとっては、非常に親近感がわく。こういう作りの坐禅堂であれば、また、こういう紅葉のきれいな寺であれば、しばらく雲水生活でもしてみたくなるような雰囲気がある。お守りを買うというきっかけをつくって、でてきた住職らしき人に聞いてみると、すでにだいぶ前から修行僧はいなくなり、ご当人も、ここで住職をしているのではなく、「街からきている」のだという。修行道場は、統合されて、可睡寺が主になっているとのことであった。自分は坐禅をしているのだが、坐禅会はやっているのかと聞くと、「団体の研修で受け入れる時がある」と。
 ダメ元で、いい坐禅堂だから、ちょっと今から坐禅させてくれないかと頼んでみると、どうぞと諾してくれた。多分、タイミング、本当に坐禅をしてる人かどうかの、相手側の直観など、いろんな要因で許可を得たのだと思うが、もし、ここまで読んでいる読者がいれば、マネしないようにしていただきたい。実際に、中にはいって坐ってみると、非常に心地よく坐れた。数十年前に、熱心に坐禅していた修行僧が座っていた場所だな、兄弟弟子がいるというのは、どういう感じだろうかなど、感じいりながら、一人で座っているのではないような心地に、しばらく浸らせてもらった。40分ほどで坐が終わるころは、そんなロマンも覚めてきて、がらんとした僧堂の感じに戻ってきた。だが、非常にいい坐禅をさせてもらった。「正法眼蔵提唱」といった木版が残っていたりして、いい修行がされていた時代があったのではないかと感じさせる雰囲気が残る寺である。本日担当の臨時住職に感謝する。
 その後、森町市街にでて、アクティ森というレクリエーション施設に行って昼食をとり、(ダムカレーというもの)、太田川沿いの下りの小道を気持ちよく走って、駐車場に戻ってくる。輪行にも、慣れてきたこともあり、また、気になっていた坐禅堂で座れた時間もあり、抱える問題や悩みは変わらずも、まずまずの休日だった。