郡上八幡 Dancing night

 ささやかな夏休みを利用して、久しぶりに、おそらく20年ぶりぐらいに、郡上八幡まで足をのばしてきた。東海道線で岐阜まで行き、さらに高山線美濃太田まで約30分、さらに、長良川鉄道で1時間半は乗り続けて、やっと、山に囲まれた清流の都、郡上八幡にまでたどり着ける。だが、そんな山の中に延々はいってきたとは思わせない程、街には、独特の自然な、飾りのないにぎわいがある。街全体が「歴史的町屋群」であり、1200軒以上の町屋が現存しているとガイドマップには書いてある。江戸時代につくられた、水路もそうだが、歴史的なつくりを保った建築群が、そのまま、現役で人々の生活を、支え、造っているのであり、そういう中から、「郡上踊り」が、生まれてきているのだと、さらに、郡上踊りを踊り続ける身体性が、この歴史的町屋群を、ごく自然に、保存して生かしているのだと、そういうことが、なんとなく、体感できた旅であった。
 しかし、400年以上続く、その地土着の踊りを、その地土着の人々の輪に加わって、旅人が踊る、排除されるような雰囲気なく踊れるというのも、なかなか他の地では経験できないようなことではないか。参加協力費として、460円の手ぬぐいを買って、参加章がわりに身に着けるぐらいの礼儀は必要だが、そのくらいで、参加は誰でもできる。そして、郡上踊りを2時間程度、一晩踊ることで、この街に脈々と流れていた、スピリットと身体性に、仄かに、参入させていただくことができるのだ。これは、いい意味での、持続可能で日本的な、身体性、スピリットの秘伝的部分でもあと思う。靖国神道での人工的興奮など比べ物にならないくらいの、歴史ある健全な土着文化である。踊っている当人たちは、気づかないだろうが、貴重な風習の中に、郡上の人たちは息づいているのだと思う。子供が楽しそうに踊っているのは、もちろんだが、乳児をかかえて父親が、母親が、一時間ぐらいひたすら踊っているのだ。足腰に自信のありそうな高齢者も、もちろん、ぞろぞろいる。この踊りが、足腰を確実に丈夫にしている、音楽舞踊療法になっているはずだ。
 また、同時に、この円形でぐるぐる回りながら踊るというのは、一つの曼荼羅をなしている。この曼荼羅は、一個人では決してできないようなレベルの曼荼羅である。それぞれの個性が、音とリズムと踊りという統一性の中で、曼荼羅としてまとめ上げられていく。盆踊りの中で、相手の踊りをみながら、あるいは、対面したタイミングのときに、顔、姿を見合わせながら、なんらかのインスピレーションを得つつ、さらに、輪になって踊っていくという感覚があるが、それが、自らが一部となる、生きた全体性、動的曼荼羅をなしてゆく。思うに、幼少期から、心の中に、こういう記憶がある人は、幸いであろう。


以下、写真付きの旅ツイートをまとめておく。


盆踊りは、日本的な素朴な導引動作だと思う。阿波おどりの手の動作など、導引そのものではないか。失われた日本土着の、かつ洗練された身体性とリズム、時間感覚、そして音楽を、郡上八幡で発掘してきたい。


吉田川遊歩道より、郡上八幡城を望む。山と清流に囲まれ、歴史の荒波から守られた恵まれた街だ。建築文化のジェノサイトから幸運にも守られた麗しい街。



郡上おどりの屋台式笛太鼓舞台。意外に質素なのもいい。今宵は、徹頭徹尾アナログなこいつのサウンドで、Dancing nightだが、旅人が自由に参加できる伝統的な踊りというのは、あるようでいてないんじゃないか。


プレイヤースタンバイ完了。20時開演だ。開演といっても旅人もみているだけではなく、参加して踊ることもできる。今回は、ヘビーに踊るつもりで、下駄も準備してきた。


郡上八幡ダンシングナイトナウ。この写真の時点で9時45分ごろ。さすがに8時から踊り通しだと疲れてくるが、いいつかれだ。私にとっては、身体に、失われつつあるもの、かつ、秘められてあるものを、丁寧に、繰り返し、刻み込んでいる感じである。


 満月の夜の郡上おどり終了。かわさきと春駒、あと3演目ぐらいで、巡回してやった。下駄で地面を蹴るのが、パーカッションの役目をしていて、よさこいの鳴木のようなものか。もちろん、拍手もはいる。日本舞踊風に踊る女性もいたが、きれいなものであった。
 当日の踊り場は下日吉町で、開演前の説明では、縁日としては秋葉祭であると説明があったが、それは遠州の鎮火神社、秋葉神社の秋葉だという。そうすると、秋葉神社の麓の遠州から、のこのこ、本日私が出向いて踊っていたというのも、けっこうな奇縁である。


いい疲れである。サイクリングで、30kmぐらい走ったあとのようでもある。が、いろんな人々と向き合ったり並んだり、つらなったりしながらの気持ちのいい持続的低強度運動だ。それが、日本の伝統文化でもある。これを約2ヶ月の間つづけたら、確実に日本的身体が造れる。


そんな、伝統的身体を担ったご夫婦らしき、揃いの浴衣をきた人もいたが、彼らの安定感ある踊りは、2時間半では、びくともしない。そういう、頑強でしなやかな身体性の伝統が、この街の美しい日本的秩序を支えているのだろう。


完全に気持ちよく、踊りにのって、疲れずにゆくには、ステップを完全に曲に合わせる必要があり、一晩では、なかなか難しい。博覧館でDVD売っていたが、3700円出して買うほどのマニアになりきれないと思う。とりあえず、十分、感覚、雰囲気は味わえたので、よしとする。



郡上八幡柳町の街並み


長敬寺門から、職人町を望む。町屋造りの街並みは、写真だと陳腐になるが、現地に立ってみると、味がある。とにかく、子供がいきいきしている街だ。



郡上八幡城から、城下を望む。徒歩で登城すると、ちょっとした登山になる。急な階段の野道をはいあがる。



民家の裏手を流れる用水路。いがわこみちと言われている所で、飲用から、野菜冷やし、食器洗い、そして、そのカスを鯉が食べるようになっている。こういう水路が、そこここにあり、生活に根付いていたし、まだ使っている風情もある。


ちなみに、郡上八幡の旧市街地内には、信号機はない。車はあくまで脇役で、人と建物と水路と、山々と清流と緑、そして、そこで育まれる文化が主役の街である。サイコーである。



【参考】
1.観光協会公式の郡上踊り紹介サイト 動画がそろっている。
http://www.gujohachiman.com/kanko/odori.html

8月11日の演目は、ほぼ以下の内容であったと思う。
郡上踊りの代名詞的な「かわさき」ではじまる。間にB.のどっしり感のある踊りが入りながら、時々「春駒」をはじめにしたA.の踊りが入る。そして、後半部になると、地元の人が好きだという「猫の子」も入り、早い動きもでてくる。最終曲は、名残惜しげに手を開く動作のあるC.「松坂」で締める。
そんな、疲れずに長く踊れるような、かつ、足腰をうまく鍛錬しながら、楽しめる構成になっている。クラシック音楽なら、ひとつのオペラ全体の時間を、この振付と音楽、謡回しにのって、踊ることになるが、驚くことに、やっていると、そんなに退屈はしないのだ。


A.手足の動きがある
 かわさき
 春駒
 猫の子

B.動きは少なく、足と手の踏ん張りの基本要素がある
 古調かわさき
 三百
 やっちく
 郡上甚句

C.締め
 松阪



2.郡上八幡博覧会売店で手に入れた、郡上踊り保存会編『郡上踊り』より。
10種の踊り方写真が入っているので買ったが、踊りの由来、街の歴史との関連が詳しく書いてある。


奥美濃の辺境にあって、人情のこまやかな里人たちが、いつの時代も、いかなる圧制の場合にもくずれることなく、つねに心のよりどころとして育て上げてきたのが『郡上おどり』である」
「宝暦年間における郡上一揆の『傘連判状』は、神文に対して平等の責任を負うように円形に名前を連ねたものであり、目的遂行を誓い合った結合性の現われである」「この同盟があったからこそ、郡上一揆は、他地域にはみられないような、領主改易まで追い込んだ」


郡上踊りには、こういう精神を生むような所がある。これは、音楽と踊りに養われた非常に健全な市民意識でもあると思う。相互尊敬的な平等意識とともに、ミニ市民革命をやってのけているわけだ。この『傘連判状』が、盆踊りの円相が背景意識にあるような、図像として曼荼羅的な形態をしている。