米国は、イラク戦争後5年、オバマ談話を示すべきである

The world needs 8.31 Obama's statement of five years after the Iraq War much more than Abe's statement after seventy years after the Pacific War.


This short film shows the Iraq War's true colors, tensions and meanings in Iraq. https://www.youtube.com/watch?v=eMNvPHLXgTU&app=desktop


We don't have to forget that this war was begun under the purpose for freedom and democracy in Iraq. And the war was named as "Operation Iraqi Freedom" by American President George Bush. This incident in video must be only one case of numerous similar ones. These incidents were enough to become the first impacts that cause growing chain reaction of hate and violence, resulting in terrorism, and organized Islamic state in Iraq now.
I would like to dedicate a part of Abe's statement to the tragedy in this YouTube film.


"Upon the innocent people did our country inflict immeasurable damage and suffering. History is harsh. What is done cannot be undone. Each and every one of them had his or her life, dream, and beloved family. When I squarely contemplate this obvious fact, even now, I find myself speechless and my heart is rent with the utmost grief."


I think this same words must be stated now by American President Barack Obama as a profound reflection of "Operation Iraqi Freedom″. Next 8.31 is five years after the Iraq War and it's best chance to declare the statemet. If this kind of statement is neglected, I think the same type of war will emerge under the purpouse to defend and spread freedom and democracy or peace. And Japanease Prime Minister's "Proactive Contribution to Peace" would be used for the next "Operation any region Freedom″or "Operation any region Peace" .



 安倍談話、中日新聞に全文載っていたので、読ませてもらった。英文訳も隣りに記載されており、日本語では読めない部分の参考になる。全部読んでみると、確かに、文面としては、過去の談話をきっちりと踏襲しているとは思う。安倍も、一歩踏み込んで、まともな部分を政治的にみせてきたという印象ではあった。


 ただし、“We will engrave in our hearts the past, when〜”の形式で4回繰り返される、コーダのように宣言する安倍談話最終部分において、「自由、民主主義、人権といった基本的価値感をゆるぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」とある。これは、“Show the flag”に対する安倍の答えのようなものだが、ここにおいて、価値を共有するとする米国の行い、日本も支持した「イラクの自由作戦」への批判的な向き合いができないというのは、その直前まで延々と述べてきた、自国の侵略や植民地支配、罪のない人々への損害を反省した部分、あるいは「すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」とした部分が、結局、地に足のつかぬ応用の効かぬ認識であることを示していると思われる。


イラク戦争イラクの自由作戦)の実体の動画 (残虐なので閲覧注意)
https://www.youtube.com/watch?v=eMNvPHLXgTU&app=desktop
安倍談話のこの部分を捧げたい気持ちになる。
「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を我が国が与えたという事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人一人に、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実を噛みしめる時、今なお言葉を失い、ただただ断腸の念を禁じ得ません」

 
 丁度、ツイートで流れていた動画であるが、これは、安保法制に賛成の方は、特に必見の動画だ。これが、米国による「イラクの自由作戦」の実体である。ブッシュが「大量破壊兵器があるからやる」と言ったことは、この末端の兵士にも浸透しており、カメラを武器と間違えるか思い込むかして殺戮している。これが、イラク人の自由のためになされているのか?明らかにそんなものではない、他の目的ではないのか。では、それは何なのか。

 安倍は「フセイン大量破壊兵器を持っていなかったことを証明しなかったのが悪い」と、先の参議院での山本太郎の質疑において明言しており、この動画で示されているような戦争における犯罪性を、おそらく意図的に認めていない。子供が2人撃たれても「戦場につれて来るから悪い」とヘリから撃った米兵が言い放っているが、これは安倍の屁理屈と丁度同じようなトーンをもっている。


 これでわかるように、皮肉にも「価値感を共有する」と安倍が言う米国が、70年前の日本と同じことを、少なくともこの70年間の間に、いろんなところでやってきたのである。今年あえて談話を出すなら、本当は、この認識、1945年後70年でもあり、その痛切な反省からみた、イラク戦後(2010年8月31日)より5年という認識をもって、談話を練る必要があった。つまり、米国の「イラクの自由作戦」の実体への厳しい認識と、自国が協力したことへの深い悔悟がなければ、まったく、ブッシュJr.の2003年時点で歴史の止まった認識にすぎない。事実、安倍はその時のブッシュJrとまったく同じ認識を、今もって国会にて明言しているわけであり、「ホルムズ海峡!」と実体の消失している危機を不用意に衆議院で散々叫んでいたことから証明済みであり、いつでも新たなもっともらしい「存立危機」のインテリジェンスを、「調整メカニズム」を通して米国側から吹き込めば、世界中で積極的に使える駒になる。イラク戦争で本当に目的を達成した者たちにとっては、彼は2匹目のブッシュJr.そのものとして映っているだろう。加えて、日本国民も同様のナイーヴさを持っている、2003年当時のアメリカ国民と同様であることを自覚すべきである。本当は、現在のイギリス国民と同じぐらい、米国の戦争に対して賢く批判的にならなければならない。

 加えて、安倍政権が報道の自由を縛り、民主主義を換骨奪胎し、人権理念を葬ろうとする、自分のいっている価値感と別のことを現実的には手をだしていそしんでいる当の本人であることを棚に上げているということもある。


 以上、弁解できぬほどの原理的な安倍談話批判をおこなったが、それ以外の形式的な部分は、侵略、植民地支配、お詫び、云々の部分は、安倍なりにうまく入れたものだと思った。中国や韓国も、無下に拒絶はできない、村山、小泉談話を踏襲したものとして見ざるを得ないものになっていると思う。侵略の主語がはっきりしていないじゃないかという批判が、本日の日刊IWJでもなされていたが、英文を読めば、主語を誤魔化しているようで、誤魔化せないようなステイトメントとなっている。


安倍談話「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう2度と用いてはならない。」
Incident,aggression,war-we shall never again resort to any form of the threat or use of force as a means of settleing international disputes.


ここで、we、我々日本国民が武力に訴えかけないという主語があり、again、二度とという副詞があるので、「一度はそういうことをやりました」ということを、暗喩してはいる。そういう形で英文では、婉曲な形にではあるが、主体性は残存している。


 もう一つ、これは、小泉談話からの表現だが、「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在に平和がある。」というものである。小泉は、「戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いをいたし」としている。戦死や戦災死を尊いとして美化した、靖国的な残存でもある。村山談話は、現在が尊い戦争の犠牲の上にあるなどと、どこかであの戦争遂行に感謝すべきだとような解釈を残す部分は残さない。「犠牲となられた方々の御霊(みたま)を鎮めるゆえんとなると、私は信じております」と核不拡散と軍縮を決意する。これが本当の償い、国内の犠牲者への償いの態度だと思う。オウムで話題となった宗教学者の島田裕已氏が、ポリタスに寄稿していたが、英霊も70年もたてば、御霊となるということであり、御霊祭りというのも、靖国でやっているようだから、A級戦犯分祀して、遊就館を撤去し、靖国神社を、「御霊神社」と変名していくというのもいいかもしれない。

 本来、この戦後談話は、周辺アジア国民への謝罪のみならず、戦犯たちが、「国の指針を誤った」ことにより甚大な被害をこうむった、我々日本人に対する謝罪、お詫び、再び同じことをしない誓いでもあるべきである。そのために、明治的な靖国神社を鎮魂のための御霊神社にかえる。何か形にすることが必要ではないだろうか。そういうけじめがつけられないから、天皇が筋を通して参拝をやめているのに、安易に政治家や国民が、空気にひきずられて参拝をする。国内向けの戦後処理の不徹底さをみる気がするし、再び繰り返す根を、国民の中にみる思いがする。今上天皇はその点、徹底してくれているので、私は助かっている。

 自衛隊員のための慰霊のための、人間-天皇も、堂々と参拝にいけるような、新たな施設を、早急に作る必要があるというのが、私の持論である。これは、戦後の日本国というものをどのように象徴するかという難しい課題ではあるが、それが、日本が、すぐにでもできる、いや、責任をもってやる必要のある、世界に明示することができる平和への努めの最たるものだと思う。


 今回の安倍談話の、かなり基本的なパラダイムとして、「ブロック経済が全部悪かった」「事変、侵略、戦争に訴えたのも、ブロック経済という国際紛争のせいだ」「だから、開かれた国際経済システムをつくる」というものがある。これは、やや真の日本人の中にある問題点を外した、詭弁じみた印象を与えるフレームであるとおもった。私の認識では、福澤諭吉的な「愉快」な侵略略奪に流れる明治精神の影の面が真の問題点で、勝海舟的な隣国を尊重しつつ世界に向き合おうとする精神が解答である。(これは、今、軍事技術において独走している米国の「愉快」の問題点でもある)
 この真の精神的な問題を諸外国から課せられた経済問題に転嫁するパラダイムは、先の村山、小泉談話にはまったくみられなかったものであり、今回の安倍談話が、どこか、真実味のない言い訳じみた歴史認識とお詫びとなっている元凶だと思う。このパラダイムで安倍や、その裏にもいるであろうアメリカが意味させたい政治的な所は、TPPの欺瞞も含めなにか大きいものがあるように思うが、この点については、他の識者の見解を待ちたい。


 最後に、本当の所は、日本が変わり映えのしない戦後70年談話を出す必要は薄く、むしろ、米国がイラク戦争後5年のオバマ談話を8月31日に、世界に向けて出すべきである。これは、イラク戦争開戦時に一人反対意見を貫き通したバラク・オバマにしか出せない類のものでもあると思う。彼の米国大統領としての存在理由でもあり、是非、世界にむけてぶちまかして欲しい。期待している。



【参考記事】引用したYouTube動画が、氷山の一環でしかないことを示す内容となっている。


戦争犯罪でも支援するのか!?―日本を「イスラム国」より酷い米軍の共犯者とする安倍政権の安保法制
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20150428-00045232/

志葉玲 | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和
2015年4月28日 14時26分